06. 春休み・・・さまざまな活動の中

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

06. 春休み・・・さまざまな活動の中

2月、3月は春休み(※1)でした。それまでわたしがやっていたことと、この時からやりはじめたことについて書いておきたいと思います。

 

(※1)大学の春休みは長いのです。丸2カ月お休みです。

 

まずボランティアですが、これは夏休みに三つやったのですが、その内YMCAのシャボン玉の活動は、夏休みが終わっても続けました。これは月に一度、メンバー(知的障害児)と一緒に遊びに行くというものなのですが、毎回違ったことをやり、あるいは違ったところに行って遊びました。そして、その企画もボランティアが中心になって立てました。そのため毎週水曜日は午後6時から山手YMCAに集まり、プランをみんなで練りました。わたしは夏休み以降も活動に参加し、毎週水曜日は山手YMCAにゆきました。この活動は大学1年の7月からはじめてからおよそ10カ月間続けました。

 

それからこれは勉強のことなのですが、授業ではなく有志で集まって哲学書を読んでゆくという研究会というものが、上智の哲学科には幾つかありました。その中でわたしはハイデガー研究会に入りました。どうしてハイデガー(※2)にしたかというと、大学に入る前に読んだ竹田青嗣(※3)さんがフッサールのことについて書いていて(※4)、わたしはフッサールについて関心をもっていたので、ハイデガーはフッサールの直弟子であると聞いて当時のわたしには一番親しい感じがしたのです。これは毎週金曜日午後6時から一時間半位『存在と時間』(※5)を読んでいました。『存在と時間』という著作は非常に難解なもので、はじめの半年くらいは何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。しかし夏休みが終わるころにはやっと少しずつですが分かるようになりました。これは一年のころにすぐに入って、大学二年の4月ころまで続きました。

 

(※2) マルティン・ハイデガー:20世紀を代表するドイツの哲学者のひとり。フッサールの弟子。

 

(※3) 竹田青嗣さんは日本の評論家です。西洋哲学をわかりやすく解説するのがすごくうまい人です。西洋哲学に関心のあるかた、かじってみたい方はぜひ彼の本を読んでみてください。結構はまります。

 

(※4)現象学入門 (NHKブックス) (竹田青嗣 著)

 

(※5)存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫) :ハイデガーの前期の代表的著作。20世紀の西洋哲学に甚大な影響を与えた。難しい、でもすごく明快な本。怖いもの見たさに本屋で見つけたら手に取ってみては。

 

そして、大学一年の3月から新たに始めたことがありました。それは、行政書士の資格試験を受けるために資格取得の専門学校に行き始めたということでした。いわゆるダブルスクールというやつです。いきなり何を唐突なことを言い出すのかと思われるかもしれませんが、わたしは大学に入った時からずっと将来について考えていたのです。徹底して踏みにじられた人間にとって、その後猛威をふるうものは不安です。七年たっても未だに「彼」に否定され続け、どうやって生きていっていいのかわからないのです。この不安こそが当時わたしに将来のことについて性急に考えさせたものなのでした。将来を考えるに当たって、一つの選択肢として、芝居というものがありました。しかし、それで生きてゆくのはとても難しいことだし、とても頼りない感じがしました。だからもしそれがだめでも、何か資格を持っていれば、いざという時に役に立つだろうと思って、それで資格を取ろうと考えたのでした。もちろん資格を持っていたとしても、それで将来が保証されるわけではありません。成功しようが失敗しようが確率は五分五分なのです。そんなことは分かっていました。しかし、不安の猛威の前では、わたしはそうせざるを得なかったのです。なぜ行政書士を選んだかというと、いろいろ調べてみた結果、当時では社労士や宅建よりも比較的取りやすく、なおかつ将来性があるということだったからです。更にわたしは哲学の勉強を一生懸命やりたかったので、あまり資格取得に時間のかからないものをと思って、行政書士を選びました。試験は年に一回、10月の最終日曜日に実施されるのですが、わたしはTAC(※6)という専門学校に3月から通いはじめました。そこで毎週土曜日、午後2時から4時間の講義を受けました。はじめるに当たってこのことは誰にも言いませんでした。親には受かって驚かしてやろうという気持ちがありましたし、友達には何か恥ずかしくて言うことができませんでした。こうしてわたしはTACに3月から大学2年の8月まで通い続けました。しかし、既に「うつ状態」に侵されていたわたしには試験まで続けるのは不可能でした。結局8月以降は勉強もできなくなり、TACに行くことも断念しました。行政書士資格取得の小さな夢は、実現せずに終わったのでした。

 

(※6)資格をとるならTAC。わたしは決してTACのまわし者ではありませんが、資格を最短最少でとるためによく考えられたカリキュラム、優秀な講師陣。わかりやすい授業。わたし自身は目的を達成できませんでしたが、資格の専門学校の候補としてはお勧めです。

 

大学2年の3月時点でわたしは、日曜塾、ハイデガー研究会、シャボン玉、行政書士の勉強、と四つのことをやっていたのです。そして忘れてはいけないのはお金です。つまり日曜塾とTACにはお金がかかるのです。わたしは日曜塾のことも、TACのことも親には内緒にしていました。だからその費用をアルバイトでまかなわなければなりませんでした。TACの費用は全部で13万円、そしてとりあえず夏休みまでの日曜塾の月謝(3月~7月)5カ月分10万円を稼がなければなりませんでした。そのうちTACは13万円のうち5万はお年玉から出しました。だから最低20万円位は稼がねばなりませんでした。だから春休みの中心はアルバイトとなりました。日雇いの肉体労働をやったのですが、結果として2月~3月で、25万円位は稼げたと思います。

 

しかし、月謝を自分の労働で払うことができたのは、この5ヶ月間だけだったのです。

 

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