05. 演劇活動の再開・・・日曜塾

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

05. 演劇活動の再開・・・日曜塾

大学1年の後半になっても体調はよくなりませんでした。それどころか、ますます悪くなってゆきました。わたしはなぜこんなに調子が悪くなってしまったのだろうと考えました。しかし、それが病気であるとまではまだ自覚できませんでした。そして、この調子の悪くなった原因を自分が芝居をやっていないからだと考えました。確かに演劇部を引退したとたんに眉間にしわが寄りましたし、依然としてほとんどいつも眉間にしわが寄っていたのです。だからこの調子の悪さは芝居をやらないことによる禁断症状ではないかと思ったのです。

 

そうして大学に入る前に決めた、芝居は大学の初めの2年間はやらないという予定を変更することにしました。芝居をまた始めれば調子が良くなるのではと思ったのです。そしてわたしは大学1年の1月ころから芝居をやる場を探しました。しかし、これは大学においてではありませんでした。わたしは高校時代、演劇部で非常によい経験をしました。そして、そのことについて既に書きました。しかし、良いところだけではなく、不満なところもあったのです。それは学生演劇の限界であったと言えると思います。そこで、わたしが考えた学生演劇とプロの演劇の違いについて書いてみたいと思います。

 

一言でいえば学生演劇はone of them なのであり、プロの演劇は the best なのです。もっとかみ砕いて言うと、学生演劇は、その限りにおいて勉強、遊び、恋愛、バイト・・・などなどの中の一つにしか過ぎないのです。そして、一つに過ぎないということを主張することができるのです。それが学生演劇である以上、だれも演劇を第一にしない人について文句を言うことはできないのです。しかし、例えばわたしのように芝居作りを最優先にしていたものにとって、他の人が自分と同じように芝居を最優先にしてくれないのはゆるせないことでした。特に本番が近付いてくると全く芝居のことしか考えられなくなるのです。かつて稽古しないで塾へ行こうとした部員に対し、わたしは塾を休めと言ったことがありました。少しでも多くの稽古をしたかったからです。しかし、学生演劇である以上、部員のプライベートに対し束縛する権利などないのです。なぜなら学生演劇だからです。そうである以上、芝居作りを最優先しない人に対し文句をいうことはできないのです。高校時代の演劇部の経験は大変すばらしいものでしたが、と同時に、学生演劇の限界もこうして思いしらされたのでした。理屈では分かっていても感情がこうしたことを許さなかったのです。だからわたしは今度芝居をやるとしたら、それは学生演劇ではなくプロの演劇をやりたいと思ったのでした。プロの演劇とは何かと言うと、それは芝居作りを最優先(the best)するということです。いい芝居を作るためにすべての人が全力を尽くすということです。いい芝居を作るためなら個人のプライベートまで口をはさむことができるのです。もちろん芝居作りにかかわる限りにおいてですが。それがプロの演劇だと思います。わたしはもし今度芝居をやるなら、芝居作りを最優先している人達と一緒にやりたいと思ったのです。

 

そこでわたしは演劇雑誌の劇団や養成所案内などを見て、自分にあったところを探しました。しかし、いくらプロの芝居がやりたいと思っても幾つかの条件がありました。それは、芝居をやると言っても哲学の勉強のほうをおろそかにしたくなかったので、週に1度位でやっている所、ということです。中には週に3日やっているような所もありましたが、それは始めから考えていませんでした。それから、費用はなるべくかからない所ということもありました。そうした条件の中でわたしはそれを探しました。そしてその条件にぴったりの役者の養成所を見つけました。それが「日曜塾」でした。週に1度、日曜日、午後6時から10時ごろまで、月謝も月2万円で比較的安かったのです。その本にはどこに稽古場があるか書いてありませんでしたが、そこの塾長の事務所が代々木にあったので、これならわたしの家からも近いのではないかと思いました。それで早速電話で連絡を取りました。すると塾長の安藤さんが直接出てくれました。それで入塾したいとの旨を伝えると3月の第一日曜日に面接するということになりました。試験などはありませんでした。面接して話をしてみてそれで決めるということでした。そしてわたしはすんなりと入塾することができました。その一番の理由は、わたしが面白そうな人間だったというよりは、その当時塾生は男は2人しかいなかったので、とにかく男をいれたかった、ということでした(塾生は10人前後)。こうして3月から毎週日曜日は日曜塾ということになりました。

 

さて、初めの予定を変更してまでも芝居を始めた一番の理由である体調についてですが、それは2つの意味でわたしにはほとんど改善されませんでした。1つは日曜塾に入ることによって、自分を発散する場ができたと思いましたが、それは甘い考えでした。そこでやることは役者としての基礎トレーニングなのです。その基礎トレーニングというものは決して楽しいものではないのです。無味乾燥なものなのです。それを身に付けた上で、やっと表現ができるようになるのであり、楽しくなってゆくのです。しかし、楽しくなるまでには、やはり1年位かかるのです。だから初めの1年は楽しいどころか、かえって負担になりました。しかも塾長の安藤さんは非常に厳しい人だったので、稽古ではいつもわたしは緊張していました。安藤さんに慣れるのにもやはり1年位かかったのです。だから日曜塾での初めの1年は想像していたよりも楽しいものではなく、体調がよくなるどころではありませんでした。

 

もうひとつの意味は、わたしの体調の悪さは決して芝居をやらないことによる禁断症状と言ったような生ぬるいものではなく、つまりわたしは既に「うつ状態」という精神疾患に侵されていたのです。既に病気だったのです。そうである以上、それは芝居をやろうが何をやろうが改善されるようなものではなかったのです。それを直す方法はただ一つ、精神科に行って医師の診断を受け、薬を飲み休養するというほかにはなかったのです。だからかえって芝居をやることは、病気のためにはよくなかったかもしれないのです。こうしたことは日曜塾に入ってから分かったことでした。そして、わたしが精神科に行く日はすぐそこまで来ていたのでした。

 

前に戻る |  続きを読む

トピック④うつ病闘病体験に戻る