41. 大河内清輝君の死②

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

41. 大河内清輝君の死②

大河内君の場合も、僕の場合もそうですが、本当に打ち負かされ屈服し、恐怖心に捕らわれてしまった人間が、そのことについて口を開くということは非常に困難なことなのです。

 

多くの打ち負かされた人々は、そのことをだれにも言えず深く傷ついたまま生きることを強いられるのです。どんな本を読んでもそれは多くの場合、強い人の意見なのです。

 

2年か3年か前にある女子中学生の「いじめられ日記」という本が出版され話題になりました。彼女はテレビにまで出て泣きながら「いじめ」の悔しさを訴えました。そして、今いじめられている人に絶対に負けないで、と言っていました。しかし、それは僕に言わせれば強い人の意見なのです。絶対に負けないでと言いますが、僕は負けたのです。負けて負けて負け続けたのです。屈服したのです。隷属したのです。だから僕はそんな負けなかった人の意見など聞きたくないのです。実名でしかもテレビにまで出てしまうような強い人の言うことなど聞きたくないのです。僕は彼女のことを見ても何も感動などしませんでした。強い人間がいくら強いことを言ってもそんなことは大したことではないのです。

 

僕が聞きたいのは、そして多くの深く傷ついている人が聞きたいのは、負けなかった人の意見ではなく、負けた人の意見(はなし)なのです。弱い人間の意見(はなし)なのです。それこそ本当に必要なものなのです。そして、僕にはそれを言う資格があると思いました。負けた人間として、弱く情けないダメ人間として僕は意見する資格があると思ったのです。

 

「いじめ」において最も恐ろしいことは、恐怖心に捕らわれることです。そして、自分をダメ人間だと思ってしまうことです。こういうふうに思っている人間を救うのは至難の業なのです。恐怖心のとりこになってしまったら、自分をダメだと思ってしまったら、決して人に助けを求めることはできないのです。人に救いの手を差し伸べてもらっても、それすら信じることができずそれを拒んでしまうのです。

 

こうなってしまったら最悪です。とにかく後はどんどん苦しくなって行くだけなのです。だから僕はこう言いたかったのです。

「君はダメじゃないんだ、僕もこんなに情けない思いをしたけれど、それでも自分のことを大切にしてくれる人もいるんだ、認めてくれる人もいるんだ、だから君はどんなに情けない思いをしようと、それでも君は決してダメ人間なのではないんだ」 そう僕は言いたいと思いました。

 

そして、そのためには、僕がかつてどんなに情けないカッコ悪い思いをしたか、と言うことを素直に書かなくてはいけないと思いました。しかも僕の名も「彼」の名も実名で書かなければならないと思いました。なぜなら、今、いじめの事実をだれにも言うことができず、おびえている人がいるのです。その人に向かって、自分はカッコ悪いから実名は出さないけど、君だけそのことを人に言いなさい、というのはムシのよい話だと思うからです。こんなに弱くてダメな自分の過去を実名を出して発表することこそ、今、苦しみに打ちひしがれている人に勇気を与えることなのではないかと思ったのです。

 

しかし、それはやはり僕にとって、つらく苦しいことなのです。「いじめ」の過去を人に知られること、「彼」の実名を出すことはとっても恐ろしく勇気のいることでした。今でさえ僕は「彼」のことを少なからず恐れているのです。そして情けなかった過去を公に発表することはとても恥ずかしく苦しいことなのです。

 

しかし大河内君の遺書を読んだとき、僕は思い切って勇気を出さなければいけないと思ったのです。彼の死を無駄にしないためにも、僕ができることを勇気を出してやらなければならないと思いました。僕が恥を忍んで勇気を出さなければ、今いじめられて踏み付けにされている人に勇気を出させることはできないのだと思いました。

 

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