40. 大河内清輝君の死①

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

40. 大河内清輝君の死①

大河内清輝君の自殺、そして、その遺書を読んで僕はじっとしていることができませんでした。

 

確かにそれ以前にも「いじめ」のことが話題にされたことがありました。しかし、それまでの僕は人のことなど心配している余裕などありませんでした。一日一日を何とか生きて行くだけで精一杯だったのです。本当に苦しみの真っただ中にいる人間は、人のことなどかまっている余裕などないのです。

 

しかし、中3のときから8年近くもの歳月が流れ精神科へも通うようになって僕はやっと長い間陥っていた「はまった状態」から抜け出し始めていました。そして、大河内君の死、そしてその「いじめ」について冷静になって考えてみる余裕ができて来ました。「余裕」と言うのには少し語弊があるかも知れません。しかし、それまでの僕はどんなに「いじめ」のことが周りで話題になっても、そんなことはほとんど無関心だったのです。それほど自己のいじめによって負った傷が大きかったのでした。

 

そういう僕が他人の「いじめ」について情報を集めたり、遺書を読んだりしたというのは、大河内君のことが初めてだったのです。しかし、「余裕」とは言ってもそんなに余裕があった訳ではないのです。僕は大河内君の遺書を読んでいて胸が高鳴るのをどうすることもできませんでした。いても立ってもいられない気持ちになりました。興奮を抑えることができませんでした。その遺書には僕と共通する所もたくさんありました。僕にも共通する苦しみがありました。そして、何とかこのようなひどい「いじめ」にあって苦しんでいる人達の力になってあげることはできないかと考えてみました。何か僕にできることはないかと考えました。僕は8年たってやっと人の不幸に同情する余裕をもてたのです。

 

そして、いろいろ考えたあげく一つのことに思い当たりました。それは過去の自分の「いじめ」の事実を公けに発表しようということでした。いじめられた人間として、犠牲者として、そして敗者として、僕は意見する資格があると思ったのです。僕にしか言えないことがあると思ったのです。本当に打ち負かされ屈服した人間として、僕は十分意見する資格があると思いました。

 

そして、それまでの8年間を振り返って、もしだれかがそのことをもっとはやく指摘してくれたら、こんなにもつらく苦しい思いをせずに済んだのに、ということも幾つかありました。そして、幾つかのことも含めて、今いじめられて苦しんでいる人に、自分の過去について素直に話してみたいと思ったのです。

 

強い人間の意見など聞きたくないのです。本当に必要なのは弱い人の意見なのではないでしょうか。弱い人がどう生きるかが問題なのです。このことについて僕は今答えを出すことはできませんが、弱い人間として、打ち負かされた人間として、そして屈服した人間として、それでもまだ生きてしまっている人間として、何か今苦しんでいる人にたいして手助けとなることができないだろうかと思ったのです。そして、それには僕の過去あったことを洗いざらい発表するしかないのではないかと思いました。しかも実名で。それによって、今最悪の状態で苦しんでいる人に救いを与えることができないだろうかと思ったのです。

 

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