39. 自殺について・・・暗黒のいじめ

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

39. 自殺について・・・暗黒のいじめ

この数年「いじめ」による自殺死という痛ましい事件が相次いで起こりました。そして、そのたびに「いじめ」というものが、一つの社会的事件としてマスコミに取り上げられて来ました。

 

最近では、大河内君の自殺など彼の遺書を見ていてもとてもいたたまれない、じっとして居られないような気持ちにさせられるものもありました。そうして、僕自身、いじめによる自殺という現象を自分自身のこととして考えさせられました。

 

その中で僕は「彼」の事を考えていました。つまり、「彼」だったらこうした痛ましい事件のことをどのように見るだろうと推測してみました。現在の「彼」について僕は何も知りません。ただ僕が知っているのは、中3の時の悪魔のような「彼」だけです。そして、中3の時の「彼」を思う限り「彼」は次のように言うと思います。「自殺させるなんて、いじめている奴の頭が悪いんだよ、オレは自殺させるようなドジなことはしない。自殺なんてできないようにいじめてやる」。

 

もちろん自殺にまで追い詰められるほどの「いじめ」とは相当ひどいものであることは間違いありません。しかし、だからと言ってそれが最悪の「いじめ」とは限らないのです、自殺すらできないくらいに徹底的に相手を踏みにじり、その人の人間性を根絶やしにするような「いじめ」、そこまでの「いじめ」があるのではないかと思うのです。それは人を自殺に追い詰めるに等しいくらい、もしくはそれ以上の「いじめ」である、ということが言えると思うのです。

 

自殺をさせるなんてドジなのです。頭の悪いいじめ方なのです。本当は、親にも、学校にも知られず、しかも自殺によって「いじめ」の事実を明るみに出すこともできないような、いわば「暗黒のいじめ」というものが存在しているのではないかと思うのです。より悪質な、より陰湿な、そしてより不可解な「いじめ」というものがだれの目にも届かない所で密かに存在しているのです。まさに「暗黒のいじめ」といえると思います。

 

僕自身そうした「暗黒のいじめ」の被害者の一人なのだと思います。中3の6月以降、ずっと僕は一人で裸にさらされて、暗黒のやみの中で生きて来ました。この暗黒を打ち破ることは至難を極めることでした。まさにそこにこそ、暗黒の暗黒足るゆえんがあるのです。僕は中3以降、7年間もの間だれにも言えず、ただ独りで耐えるしかなかったのです。しかも我慢すれば我慢するほど、苦しくなって行きました。高校からの6年間は、いやされる6年間というよりも、苦しみがより強くなって行く6年間でした。時の経過は決して苦しみを緩和させはしませんでした。その度合いは増して行くばかりでした。そして、その苦悩がピークに達したとき、もう死ぬのではないかと思ったとき、やっとその暗黒から抜け出すことができたのでした。精神科という道が与えられたのでした。しかし、それは決して易しいものではありませんでした。最も厳しい仕方で、最も苦しい仕方での到来だったのです。もうこれ以上我慢していたら死ぬのではないか、というところまで追い詰められて、痛め付けられて、それでやっと精神科への道が開かれたのでした。

 

僕はここで自殺が究極的なものではないということを主張したいと思うのです。親や学校に言えるような「いじめ」は大したものではないのです。また「自殺」と言う逃げ道が残されている「いじめ」も究極的なものではないのです。だれにも助けを求めることができず、しかも自殺というものも許されない暗黒の「いじめ」というものが存在していると思うのです。そして過去のことからおよそ9年かかって、僕はやっとの思いでこの「暗黒のいじめ」を明るみに出そうと思えるようになったのです。それが僕の使命なのではないかと思うのです。暗黒であるがゆえに、やみからやみに葬り去られてきた暗黒に光りをあてること、それが暗黒の中で人生の半分近くを生きて来た人間の使命であるように思うのです。暗黒の「いじめ」の中で生き残った人間の務めであるかのように思うのです。この暗黒に少しでも光を当てることができればというのが、この体験記の本当の趣旨なのです。

 

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