03. ボランティア体験①・・・意志について答う

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

03. ボランティア体験①・・・意志について答う

わたしは大学1年の夏休みに、ボランティアに挑戦しました。これは高校の時から考えていたことでした。これをやろうと思ったのは、やはり下村湖人先生の影響からです。新潮文庫の『青年の思索のために』(※)からの引用ですが、非常によいものだと思いますのでここで全文を挙げておきます。

 

・意志についてある青年に答う
「君は恵まれ過ぎた境遇に育ったために意志が弱い、と言って嘆いている。しかしそれに打ち克つ道は、君が現在の境遇から逃れてわざわざ逆境を選ぶことではない。君は君自身の幸福を足場にして、不幸な人達のために絶えず何事かを考え、計画し、それを実践に移すべきだ。君がもしわたしのこの意見に同意し、根気よくその努力を続けてゆくならば、君は1年とたたないうちに、君自身の意志の強さについて自信をもち得るようになるであろう。しかも、そうして練られた意志の強さには少しの危険もない。逆境で練られた意志の強さは、しばしば冷たい意志やゆがんだ意志の強さになりがちなものだが、君は君自身そうした危険を避け得るだけでなく、他人をその危険から救うことさえできるであろう。恵まれた境遇というものは、その意味から言っても、逆境よりははるかによいことなのだ。君が君の境遇に甘やかされまいとする心はよく分かる。それは貴い気持ちであるとさえ言えるだろう。だがその方法を誤ると、君は愛情に対する反逆者にならなければならないのだ。愛情に対する反逆からどんなに強い意志が生まれてこようと君は一体それを何に役立てようというのだ。ことがらはあまりにもはっきりしている。強いて人生をいびつにするような考えは一刻も早く捨てるがよい。」
(下村湖人『青年の思索のために』)

 

(※)現在は、新潮文庫版は、絶版になっており、以下のPHP出版から新装版として出版されています。

[新装版]青年の思索のために 下村湖人、PHP出版

わたしが中学時代から愛読している人生の書です。どれだけのことを教わったか測り知れません。

 

わたしはこの部分を高校の時から愛読していたので、それで下村先生の言うとおりに実践してみようと思い、ボランティアに参加したのでした。夏休みは学生向けに、「夏体験ボランティア」、ということでたくさんの団体がボランティアを募集していました。その中でわたしは3つの団体を選び、それに参加しました。一つは「父母の会」といって、これは障害者の親たちが中心になって作っているグループで、長期休日のときなどにグループ全員で旅行に行ったりします。その時は日光に2泊3日で行ってきました。ボランティアのやることは、主に車いすを押してあげたり、風呂にいれてあげたりすることでした。もう一つは、YMCAのボランティアで「シャボン玉」というグループでした。これは主に小学生から中学生までの知的障害者(自閉症、精神発達遅滞、ダウン症)をもっている子供達と一緒に親抜きでボランティアとYMCAの職員とでキャンプに行くというものでした。その時は、山中湖にあるYMCA施設に2泊3日で行ってきました。これは主として子供達と遊ぶことがメインでした。そして最後は伊豆大島の「恵の園」という福祉施設に6日間行ってきました。これも主に知的障害者を収容している施設なのですが、わたしが行った時はちょうど納涼祭(年に一度の、その施設のグラウンドでやる夏祭り)直前だったので、障害者の人と付き合うというよりも、祭りの準備のほうを手伝わされました。どのグループの体験も非常にインパクトのある実り多いものでした。本当にどれをとっても甲乙つけ難いほど上質で楽しい体験でした。そして本当に勉強になりました。

 

そうしたボランティア体験の中で一つだけここで取り上げてみたいことがあります。このことは今でもわたしの心の中で忘れ難くよみがえってくることでした。それは「父母の会」でのことでした。

 

はじめに、旅行に行くにあたって、ボランティアさんに対して顔合わせ会というものがありました。これはボランティアが一体どういうことをやるのか説明するというものです。その時、おじさんが一人、おばさんが三人位いて、その人たちが説明してくれました。わたしはその時彼らを見てなんとも思いませんでした。福祉施設の人かなと思いました。別に特別ほかのおじさんやおばさんと変わりないし、かえって明るい位でした。そういった印象をもってその日は一時間位話を聞いて別れました。
そしていよいよ当日になりました。朝、確か8時位だったと思います新宿区戸山の福祉センターに集合しました。そこでわたしは旅行に参加する障害者の方を見て驚きました。もちろん初めてであったということもあるのでしょうが、非常に重度の障害者たちばかりだったのです。ほとんどが車いすに乗っており、しかも知的障害者でもありました。だから普通の会話などできません。いきなり叫びだしたり、訳のわからないようなことを言ったりするのです。わたしはそんな人たちばかりの光景を見て、ぎょっとしました。障害者とは聞いていましたがまさかこんなに重度だとは思っていませんでした。

 

しかも、もっと驚いたことがありました。それは、この間、顔合わせ会のとき説明してくれたおじさんとおばさんたちは障害者の両親だったのです。福祉センターの人ではなかったのです。すべて障害者の親だったのです。それでわたしはさらに驚いてしまったのです。「こんな重度の障害者を持ちながら、こんなに大きな不幸(※)を背負っていながら、何でかれらはあんなにも明るくいられるのか、普通のおじさん、おばさんと変わりないじゃないか」と思いました。

 

これはそれから実際に彼らと行動してさらに強く思いました。彼らは車いすの上でしか生きてゆけないのです。自分でものを食べることすらできないのです。自分で風呂に入ることもできないのです。わたしは彼らの介助をしながら、そのことを本当に思い知らされました。そしてこういう子どもをもった親はどんなに大変だろうかと思いました。ボランティアなんて、その場かぎりです。しかし、親は一生その子の面倒を見てゆかなくてはならないのです。それは本当に想像を絶するくらい大変な毎日だろうと思いました。それなのに、彼ら親たちは、一体どうしたことか、こんなにも大きな不幸を背負いながら、あんなにも明るく元気ではないか、これは一体どうしたことか、と思いました。そして、そういう疑問を直接お母さん方にぶつける機会が与えられました。

 

(※) 軽々しくひとの境遇を「不幸」などと言うべきではありませんが、当時の22歳のわたしは率直にそのように思ったのです。

 

前に戻る |  続きを読む

トピック④うつ病闘病体験に戻る