02. 人格との出会い・・・哲学教師小林先生

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

02. 人格との出会い・・・哲学教師小林先生

わたしは大学に入ってから3人の素晴らしい人格と出会えることができました。3人共わたしよりもずっと長く生きている人生の大先輩です。一番初めに出会ったのは、上智大学哲学科当時常勤講師だった小林(仮名)先生でした。小林先生とは、1年の時のゼミで担当の先生だったのです。小林先生と出会えたことは本当に幸運だったと思います。運命だったと思います。

 

そのゼミの授業の話をすると、そこでは西洋哲学の代表的なテキスト(文献)をみんなで読んでゆくというものでした。他の先生のゼミ(※1)はどうであるか知りませんが、小林先生のやり方は当番制で、毎回決められた箇所を順番に1人ずつ内容をまとめて発表し、そしてその発表内容についてみんなでディスカッションするというものでした。しかも当たってない人も、毎回その日やる箇所を読んで疑問に思ったことや分からなかったことをまとめて、小林先生に提出することになっていました。

 

(※1)当時哲学科の一学年の人数は50人ほどで、それを4つのグループにふり分けて、4人の哲学教授が担当していました。

 

これはかなりしっかりしたやり方だったと思います。ちゃんとやろうとすると結構きついのです。他の先生の話を聞くと、先生がテキストの内容を説明してしまったり、生徒に話す機会を与えない方もいらっしゃるようでしたが、小林先生は違いました。なるべく生徒自身の力で本を読み考えるように持って行こうとされました。自分はあまりしゃべらず、生徒が自発的に意見をいうことに重きをおいておられました。そして、自分が生徒よりも上にいて生徒を指導するというよりも、生徒と一緒に考えるという姿勢を大切にされていました。そうした姿勢の中に、小林先生の学問に対する情熱が感じられました。やる気のない学生に対してはあまり強制せず、逆にやる気のある人には優しく、そしてその生徒を尊重してくれました。小林先生はやさしさと同時に厳しさを兼ね備えた人でした。

 

わたしは決してできのよい生徒ではありませんでしたが、やる気だけはありました。それがいつしか小林先生にも伝わったのかも知れません。そして、前期2度目の発表の日のことでした。確かデカルトの『方法序説』第4部だったと思います。あの有名な「我おもう、ゆえに我あり」が出てくるところです。わたしは精一杯やりました。難しくて分からないところもありました。参考書などで調べて何とかまとめました。授業が始まる前に、レジュメを作ったり、発表の練習を独りでしたりしました。そうしてなんとか授業では、わたしの考えたことを発表することができました。初めの15~20分位が発表で、後はディスカッションなのですが、その時は別に、小林先生はわたしの発表について何も言いませんでした。しかし、授業が終わり教室をみんなが出始めた時、その時わたしは一番最後に出たのですが、わたしのすぐ前に小林先生が歩いていて、ふっと後ろの方を見て、わたしに向かって一言、「今日の発表よかったですよ」と言ってくれました。わたしはびっくりしました。そしてとてもうれしかったです。わたしはすぐに小林先生の傍らに行き、歩きながらしばらく話して、そして別れました。

 

これが初めてわたしが小林先生と個人的に話をするようになった時のことでした。「今日の発表よかったですよ」、この一言はわたしにとってかけがえのないものとなりました。もちろん、よかったといってもわたしの発表ですからたかがしれています。しかし、それでも小林先生から自分の一生懸命やったことに対して評価してもらえたということは、本当にうれしいことでした。もちろんわたしに学問をやるような能力はないと思っていました。しかしそれでも、否、それだからこそよかったと言ってもらえたことはわたしにとってうれしいことだったのです。中3のあのことがあって以降、わたしは常に劣等感に悩まされ、頭が悪いことを苦にして生きてきました。そしてまた、高校以降、先生にほめられるようなことはほとんどありませんでした。少なくとも当時のわたしは誰にも認めてもらえないし、認められるに値しないと思っていました。そんなわたしに、中3の時以降はじめてほめてくれたのが小林先生だったのです。大学一年のゼミの発表で、ちょっとほめられた位でおおげさだなとも思われるかもしれませんが、わたしにとっては本当にうれしい一言だったのです。友達もできず、芝居もやれない暗闇の中で、その一言は一筋の光でした。

 

そのときを機に、わたしは小林先生と個人的に付き合う(※2)ようになりました。小林先生はゼミの授業中でも生徒みんなに「何か話したいことがあったら、僕の研究室にいつでも来てください」と言っていました。

そのことがあってすぐにわたしは父と久しぶりに激しくぶつかりました。何が原因でぶつかったかは覚えていませんが、その後わたしはいつものように自嘲の念に苦しめられました。そして40歳以上年が離れている父(※3)とわたしとでは、話が通じないのだろうかと思いました。そして、これから父とどう付き合ってゆけばいいのかと悩みました。そしてそのことを小林先生に話してみようと思ったのです。自分なりに「世代の断絶」などとテーマを決めて、先生と話してみようと思いました。そして小林先生の研究室の前まで来たのですが、いざノックをしようと思うと躊躇してしまうのです。恐怖心です。先生に踏みにじられるのではないか、軽蔑されるのではないか、迷惑がられるのではないか、などといった思いがわたしの心の中で駆け巡りました。しかし、同時にまた、いや、そんなことはない、わたしはこの間小林先生にほめられたではないか、わたしを嫌っているわけはない、それに小林先生は、いつでも話に来てくださいと言っていたではないか、だから決して迷惑ではないのだ、と自分に言い聞かせました。わたしは小林先生の研究室に行く時、いつもこの葛藤に苦しみました。いつも研究室の前で躊躇してしまうのです。

 

そのときは結局30分位躊躇した末に、やっとノックして部屋に入ることができました。しかし、時には躊躇した結果、ノックできないでそのまま帰ってしまったことも少なからずありました。小林先生とは月に一度や二度は話に行くのですが、今でも20分~30分躊躇してしまうのです。ノックすることはわたしにとって大変勇気のいることでした。しかし、ノックして研究室に入ることができると、いつでも小林先生は嫌な顔ひとつせず、笑顔でわたしを迎えてくれました。もう2年以上も小林先生とはこうした形で話合いをしてきたのですが、今でも研究室に入る時は躊躇してしまうのをどうすることもできません。残念ながら「彼」に植えつけられた恐怖心だけは、かなり親しくなった人にさえ消えることはありませんでした。

 

(※2) もちろん教師と学生としてですが。

(※3)当時父は、60歳を超えていました。

 

こうしてわたしは友達はできませんでしたが、小林先生と出会え、そのことを一筋の希望として、大学一年を過ごしていったのです。その間いろいろな話をしましたが、話をしに行くにあたって注意していたことがありました。それは自分で本当に考えたこと、本当に感じたことを話題にしてもってゆくということです。くだらない雑談をしに行くのは、先生に失礼だし、自分で考えもしないでただ答えだけを聞きにゆくのはもっと失礼だと思ったので、どんなにつまらないようなことでも本当に自分で考えたことを先生に話してみようと思ったのです。そして、先生のところにゆくと必ず何か得るものがありました。わたしと一緒に考えてくれながら、同時にわたしをもっと深いところへ導いてくれたように思います。しかし、中3のことはやはり話すことはできませんでした。依然として、それを人に言うことはわたしにとって最も恐ろしいことであり、それを言うと先生に軽蔑されるのではないか、という思いはどうすることもできませんでした。

 

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