03. いじめの原因③・・・心理的脆弱性

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

03. いじめの原因③・・・心理的脆弱性

わたしは10か月もの間、ずっと踏みにじられていた訳ですが、最後にどうしてこんなにひどい結果になってしまったのかについて書いてみたいと思います。

 

その原因についてわたしの人生を振り返ってみると、それは幼児期にまでさかのぼると思います。生まれ故郷から東京へ引っ越した(※)、ということは当時のわたしの生活態度に大きな変化をもたらしました。生まれ故郷では、自分の気持ちに素直に感情を表すことができました。しかし、生まれ故郷を離れ別の土地に行ってしまったら、もう生まれ故郷の時のように素直に感情を表すことができなくなってしまったのです。

 

(※) わたしは千葉県船橋市で生まれ、幼稚園年小までそこに住んでいました。年長になる年の4月に東京の祖母の家に引っ越してきたのです。

 

わたしは千葉にいた時は泣き虫で有名でした。幼稚園でいじめられては泣き、家で母にわがままを言って、それが通らないと泣き、とにかく自分に気に食わないことがあるとすぐに泣く弱虫でした。

 

それが東京に来てから、泣かない子になったのです。否、泣けない子になってしまったのです。ほとんど本能的に、もうここ(東京)では泣くことはできない、そんな情けない自分を見せてはいけない、みんなに受け入れられるようにならなければいけないと思うようになったのです。

 

そして、ある種の道化をすることによってその弱さをごまかしていました。わたしはくだらないことを言ったりやったりして、みんなを喜ばせていました。そして、実際それは成功し、小学校の時は結構人気者でした。そして、めったに泣かない子になったのです。しかし依然として自分は気が弱く、泣き虫であったということに変わりはないのでした。こうして道化をする中で、ますます自分の感情を素直に表現できなくなってしまったのです。素直に泣いてしまえばよいものを、泣くかわりに笑ってごまかしてしまうのです。

 

「泣く」ということは、それ自体では弱く情けないことなのかも知れませんが、それでも立派に自己主張している訳です。泣くことによって自己主張するということもあり得るのです。千葉にいた時、わたしにとって自己主張の武器は「泣くこと」でした。しかし東京に引っ越して来たことによって、その自己主張の武器は使えなくなってしまったのです。泣けなくなってしまったのです。自分の感情を素直に出せなくなってしまったのです。自分の感情を出す代わりにおどけることによって、自分の弱さをごまかすようになってしまったのです。

 

このことをわたしはおぼろげながら感づいていたと思います。しかし、「彼」によってそのお道化とそのうちに潜む弱さが見抜かれたとき、わたしは自分の弱さをいやというほど思い知らされたのです。「彼」の前ではもうお道化は通用しませんでした。「彼」ににらみつけられると、わたしはもう笑うことができませんでした。お道化の通用しなくなった以上、わたしは蛇の前のカエル、ただの気の弱い虫けらにすぎなかったのです。

 

そして、裸にされ無防備なわたしを「彼」は執拗に踏みにじりました。いくら踏みにじられても、わたしはやり返すことができないのです。わたしはもともと人とケンカをする能力のない人間なのです。人に憎悪をもって攻撃されると、それに対し反抗できないのです。やり返す勇気などないのです(※)。ただ顔を硬直させて、わずかに愛想笑いすることしかできないのです。わたしの弱さを見抜かれてしまった以上、わたしはすでに「彼」の奴隷と化したのでした。

 

(※)それがいじめ体験以降、わたしが長く苦に思い、コンプレックスに思ってきたことです。

 

裸にされたわたしを守ってくれるものは何もありませんでした。しかし、もしこの時わたしがやり返せなくても、「泣く」ということができれば、それによって周りにSOSをだすことができたかもしれないのです。「泣く」ことによって反抗できたかもしれないのです。普通、どんなに弱くても、その人なりに敵から自分を守る手だてを持っているのです。しかし、わたしは東京に来て以来、唯一の自己主張の武器であった「泣く」ということができなくなってしまったのです。だから「彼」に踏みにじられるだけ踏みにじられて、しかも、それに対して何の反抗もできなかったのです。自分の感情を表に出すということができなかったのです。これがもし泣いていたら、周りの人たちや先生に助けてもらえたかも知れません。しかし、泣くことすらできないわたしの弱さが見抜かれてしまった以上、もうどうしようもありませんでした。ただ「彼」にされるがままだったのです(※)。

 

(※)いじめの対象になるのは、自分を守る力の弱い子という通説は、やはりそのとおりだと思います。わたしは自分を守る力が当時弱かった。

 

幼児期の環境の変化によって起きた性格の変化は、中学3年になってその限界を暴きだされたのでした。千葉の幼稚園でお世話になった保母さんの「順ちゃんは、やられてもやり返せないんですよ、男の子ならやられたら倍にして返すくらいじゃないといけないのに」と言った危惧は、それからちょうど10年後、最悪の結果となって実現したのでした。

 

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トピック⑤いじめの真実