02. いじめの原因②・・・「彼」

いじめトラウマを生き抜く方法

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02. いじめの原因②・・・「彼」

次にいじめの原因として、加害者である「彼」について書いてみたいと思います。

 

「彼」は小学校の時からの同級生でした。小学校のころから優秀で、勉強ができ、頭のよい人でした。しかし、前述のようにわたしは、小学校少なくとも5年生位までは名門私立中学の「開成」や「麻布」「武蔵」などの名前すら知らなかった位でした。

 

それくらいわたしは勉強とか受験などに無関心だったのです。「彼」は中学入試で今述べたような超難関校を受けまくったそうですが、すべて落ちてしまいました。それで「彼」はわたしと同じく公立中学に入学することになりました。

 

中学になると小学校と違って、定期テストがあり、毎回学年の順位が出るようになりました。それによって勉強の出来不出来がはっきりするようになりました。「彼」は常に学年第一位でした。「彼」のあまたの良さは、優秀さは白日のもとに出されることになりました。そのうえ、「彼」はスポーツも万能でした。だから典型的な優等生として自他共に認められるような存在でした。

 

わたしはそんな「彼」を尊敬していました。人に認めてもらいたいと強く思っていたわたしにとって、「彼」は目標でした。「彼」のようになりたいと思いました。これはわたしだけでなく、多くのクラスメイトからもそう思われていたと思います。「彼」は愛想がよかったのでクラスメイトにも人気があったのです。
しかし、そうした表面的な「彼」の華々しさの裏には黒いドロドロしたものがあったのです。

 

「彼」は小学生のころから母親や進学塾から「エリート意識」を植え付けられていたのです。

 

具体的にいえば公立中学のクラスメイトなど所詮クズだと思っていたのです。自分は彼ら(公立中学)とは次元の違う一流の人間なんだという優越意識が既に「彼」の中で培われていたのです。クラスメイトには愛想よく振り回っても、心の中では見下していたのでした。

 

「彼」は中学に入るまでにそうした気位の高い人にされてしまったのです。非常にプライドの高い人間になっていたのです。しかし、多くのクラスメイトは、「彼」のその差別意識や陰湿な性質には気づいていませんでした(※)。わたし自身も中2までは、「彼」の表面的な部分しか見えませんでした。そして、中3になってそうした「彼」のその闇の部分がわたしを通して爆発したのでした。

 

(※)しかし中3の時を冷静に振り返ってみると、そのころには、クラスメイトからも、お高くとまっている奴、偉そう、と見られ評判もかなり悪かったようです。

 

なぜわたしがその「踏みにじり」の対象となったかは、一つには前にも述べたように、プライドの高い「彼」に向かって絶対に言ってはならないようなこと(?)を言ってしまった、というのがあると思います。

 

そして、もう一つ「彼」がわたしをいじめた原因があるように思います。それは小学校~中学校まで典型的な優等生として、エリートとして生きてきた「彼」にとって、小学校からバカの典型だとみんなから思われていたわたしが、中2のころには「彼」をしのぐ勢いを持ってしまったことに対し、それが非常に「彼」にしゃくに障ったのではないかと思うのです。中2の時は、わたしは生徒会役員、卓球部部長、演劇部部長、成績も常にトップクラスとまさに肩書だけなら「彼」をしのぐほどの優等生ぶりだったのです。

 

そのことは、今までエリートで自分が常に一番だと思っていた「彼」にとっては、喜ばしいことではなかったと思います。自分よりも優等生として目立っている奴がいるということを、「彼」のプライドが許さなかったのではないかと思うのです。そういう思いが「彼」の心の中でうごめき始めていた時に、わたしはきっと「彼」に言ってはいけないことを、つい調子に乗って言ってしまったのだと思います。

 

「彼」は母親と進学塾によって植えつけられた偏差値至上主義という価値観を今度はわたしに植えつけようとしたのでした。しかもこれは、頭のよい人だけにしか通用しないものでした。「彼」はそのことを分かっていて、あえてそれをわたしに植えつけたのでした。「彼」は母親や進学塾によって植えつけられた偏差値至上主義という価値観を、絶対にそのうちで生きることのできない頭の悪いわたしに最も残酷な仕方で植え付けたのでした。つまり「頭の悪い奴はクズだ」という風に。

 

「彼」はわたしに言いました、「勉強さえできれば何も文句言われねえ世界なんだよ。」

 

こういう世界に入れるのは当然限られた一部の頭のよい人達だけなのです。わたしのような平凡な人間には、到底及ばない世界なのです。「彼」はそういうことをいじめを通して、わたしに思い知らせたのだと思います。

 

しかし、よくよく今になって考えてみると「勉強さえできれば何も文句言われない世界」に生きていること自体が、悲しいことなのです。当時の「彼」がそのことを自覚していたかは分かりません。

 

しかし、「彼」もきっと辛かったのだと思います。小学校のころからそういう価値観を植え付けられて勉強してきたことは「彼」にとってもきっと辛いことであったに違いないと思うのです。本当の真相は「彼」に聞いてみないと分かりませんが、「彼」はきっと辛かったのです。「勉強さえできれば何も文句いわれないんだ」という言葉は非常に傲慢で、平凡な人に対する非常な優越意識を感じさせますが、その裏には、幼いころから受験勉強させられ続けた現代っ子の悲哀があるようにも思えるのです。

 

そして中3以降、わたしは悲しいことに偏差値のとりことなりました。何とか偏差値をあげて人間として認めてもらいたいと思いました。しかし、どんなに努力しても、頭がよくて努力もそこそこやる人にはかなわないのです。わたしは知らず知らずの内に偏差値で自分を推し量るようになりました。しかし、偏差値のとりこになればなるほど、頭の悪い(※)わたしにとってはますます苦しくなるだけなのでした。

 

(※)彼は頭のよさということで、主に「知能指数」のことを言っているようでした。そして20代になってからわかったことですが、わたしの知能指数の程度は、中の上、位のようです。そういう意味でいわゆる頭が特別に悪いわけではないのだと思います。でもまあ、頭がいい人に比べれたら頭が悪いし、「彼」に頭が悪い頭が悪いと言われていたわたしにとっては、そういった客観的な数字があったとしても、とにかく自分は頭が悪くて劣る人間なのだという思いからは逃れられなかったのだと思います。

 

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