08. 苦悩のピーク②・・・助けを求めて

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

08. 苦悩のピーク②・・・助けを求めて

もうこれ以上大学に行くことはできないと思いました。これ以上大学にはいられないと思いました。

 

そういう状態の中で唯一希望であったのは、小林先生と親しく付き合うことができたということでした。大学一年からひと月に一回位は研究室を訪ねていました。わたしのことを初めて認めてくれたのも小林先生でした。しかし、過去のことについては一切話しませんでした。本当はそれのほうこそ話したいことだったのですが、自分が過去において「拷問的いじめ」を体験したことを話すのは、7年たっても辛いことでした。だからいつも、何か別の自分で考えたことや、感じたことをみやげに、小林先生のところに話に行きました。

 

しかし、そのときはもうおみやげどこの騒ぎではありませんでした。苦しくて苦しくて、とにかく誰かに助けてもらいたいという気持ちで一杯でした。しかし、ただ苦しいというだけでは、小林先生に話すに値しないと思いました。でも大学をやめるくらい苦しいのなら、それは小林先生に話すに値すると思ったのです。わたしは大学をやめる決意をもって、必死の覚悟で、小林先生を訪ねました。もちろんいつものように、研究室に入るのには時間がかかりました。30分ほど廊下でうろうろしていたように思います。しかしこれ以上我慢してはいられないと思い、やっとノックすることができました。部屋からは「はい、どうぞ」という小林先生の声が聞こえました。ドアを開けると、いつものように暖かい目がわたしを迎えてくれました。わたしはちょっとホッとしました。しかし、いつにも増して、かちんかちんに緊張していました。機械のようにぎこちない動きをしながら、小林先生の前の椅子に座りました。「どうですか、最近は忙しいですか」、といつものように小林先生は穏やかに言いました。わたしは極度に緊張しうつむきながら、しばらく黙っていました。そしてやっとしゃべり始めました。

 

「最近、この2~3週間、苦しくて苦しくてどうしようもないのです。どのくらい苦しいかと言えば、あまりに苦しすぎてもう大学にいられないくらいなのです。もう大学をやめざる得ないくらい苦しいのです。」
とわたしは言いました。

 

小林先生はちょっと間をおいてから、わたしに「どうして苦しいのですか」と尋ねました。それでわたしは「実は過去に・・・」と言おうとしたのですが、そこで小林先生は間髪いれずに「過去のことなんて、どうでもいいのです。そんなこと話さなくていいのです。一体、今何が下村君を苦しめているのか、それについて考えてみましょう」、と言ってくれました。こうしてその後、今わたしを何が苦しめているのか、特に友達ができないということを話しました。この小林先生との話し合いはしばらく続きました。当時、週に3~4回くらい訪ねていました。毎回わたしのために、お忙しい中、一時間くらい時間をとってくれました。研究室から出る時は必ず「今度は○曜日にいますから、また来てください」と言ってくれました。こうしてとても恥ずかしかったのですが、自分の今の苦しい状況を受け入れてくれる人がいて少し楽になりました。楽になったというよりも、かろうじて生き延びたという感じです。小林先生に自分の苦しみについて一緒に考えてもらえるというだけで少し救われました。しかし、依然として苦しみは治まりませんでした。そうはいってもやはりもう大学はやめるしかないと思いました。どんなに小林先生と話ができても、アドバイスを受けても、そのときの苦しさはどうにもなりませんでした。

 

大学をやめるしかないと思ったころ、わたしは高校時代の親友、佐々木さんにそのことを相談しようと思いました。佐々木さんとは、高校を卒業して以来も家が近かったこともあって、2~3カ月に一回は会って話をしていました。しかし、そのときは確か3月に会ったばかりだったのです。しかし、わたしは苦しくてどうしようもなかったので、また、佐々木さんに会おうと思いました。いつものように行きつけの喫茶店で夜7時に待ち合わせをして、会いました。いつもそこで2時間位しゃべって、それからそこを出て、近くの公園へ行き、そこでまた1,2時間話をして、それでさようならするというのが、いつものパターンでした。わたしははじめ喫茶店でそのことを話そうと思いました。しかし、勇気が出ず、つい言いそびれてしまいました。それで公園でそのことを話そうと思いました。しかし、そこでも言いそびれてしまいました。それでもう、佐々木さんに話すことができないのか、と諦めかけました。そして、公園を出て、彼と別れる直前になったのですが、そこでやっとわたしは大学をやめることについて、話を切り出すことができました。わたしの異常な緊張感と暗さとを感じて、「やっぱり何かあったと思った」と彼は言ってくれました。

 

わたし達は再び近くの喫茶店へ行きました。午後11時30分ころだったと思います。店に入って注文をして、しばらく沈黙が続きました。彼はわたしが話すのを待っていました。わたしは極度に緊張していました。わたしはうつむいて、じっとテーブルを見つめていました。そして、うつむいたまま、あたまかも謝るような格好で、話し始めました。

 

「実はこの2~3週間苦しくて苦しくてしかたないのだよ、もう大学に行けないくらい苦しんだよ。大学で勉強したいのだけど、もう大学をやめるしか他ないのだよ」とわたしは死にそうな声で言いました。

 

彼はまず「じゅん、下ばかり見ていないで僕の目を見て話をしてくれよ」と言いました。それでわたしは、恥ずかしさや劣等感が入り混じった気持ちでやっと彼の目を見ました。彼は言いました、「つぶされちゃうんだ、これ以上大学に行ったら、つぶされちゃうんだ」。わたしは黙ったままうなずきました。そして、過去のことを佐々木さんに話そうと思いました。「実は、僕は昔屈辱的な経験をして・・・・」、そこでまたもや佐々木さんも間髪いれずに言いました。「そんなこと言わなくていいんだよ、つらいことを無理に話す必要なんかないんだよ」と言ってくれました。そして「じゅんは、今大学にいたいのかい、大学にやりたいことがあるのかい」と尋ねました。そこでわたしは「勉強したいのだよ、やりたいことをやるには最高の環境にいるんだよ」と言いました。すると佐々木さんは「それなら、やめるべきじゃないと思うよ、じゅんのやりたいことができるのであれば、やめるべきじゃないと思うよ」。そしてさらに「でも、じゅんが苦しくてどうしてもやめるというのなら、オレは止めないよ。大学をやめようが、やめまいが、オレはじゅんが自分で納得して決めたものなら、それを尊重するよ」と言ってくれました。同年代の人の言うこととしたら、本当に最高の対応だったと思います。本当に佐々木さんはいい人だと思いました。それからしばらく黙って、そして改めて頭を下げてお礼を言いました。「本当に嫌なことを聞かせて、すいませんでした。本当にありがとうございました」。すると彼は、「こちらの方こそ、そういう話をしてくれて光栄に思っているよ」と言ってくれました。

 

こうして二人は別れました。帰りながら、あんなに立派な友達を持って本当にわたしは幸せだなと思いました。

 

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