46. 大学院進学への可能性

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

46. 大学院進学への可能性

僕は大学に入って以降、ずっと勉強することを中心に生きて来ました。とにかく哲学の勉強を頑張ろうと思っていました。そしてその裏には、自分はクズのダメ人間で能力がないのだからもう勉強できる機会は大学の4年間だけだという思いがあったのです。

 

特に、大学院などは絶対行けないと思っていました。否、大学院進学ということを考えることさえも、許されないと思っていました。それくらい僕はクズで低能な人間だと思っていたのです。しかし小林先生との話し合いの中で、僕は大学院にも行けるのではないかと思えてきました。

 

小林先生は僕のことを(僕が思っているように)劣等生とは見ていないようでした。それどころか、インテリとか優等生とか言う言葉を僕に向かって投げかけてくれました。初めのうちはそんなことはない、僕は頭の悪い能力のない人間なのだと思って自分の低能さを固く信じていました。大学院などは所詮、僕のような卑しい人間には夢のまた夢だと思い込んでいました。

 

しかし話し合いをするたびに僕のことを評価してくれる小休先生を見ているうちに、次第にもしかしたら僕は大学院に行ってもよいのではないかと思うようになってきたのです。しかも大学3年になってから、あまり授業には出ることができなかったのですが、それでも専門の授業にたまに出ることができると、とても楽しく思いました。少しずつ哲学のことも分かり始めていて、もっと授業に出たい、本を読みたいという気持ちも高まっていきました。

 

そして、思い切って小林先生に僕が大学院を志すことについて「許せる」かどうか聞いてみようと思いました。僕の大学でのエネルギー源は、常に自分はクズだ、大学院には絶対に行けないという発想から出ていました。少なくとも大学3年の秋ぐらいまでそう固く信じていました。とうとう12月になって過去のことを小林先生に話し、軽べつされるどころか思いもよらず評価してもらったこともあって、もし結果として大学院に入れようが入れまいがそんなことはどうでもよかったのです。ただ一言小林先生に、許せる、と言ってもらえればもう充分なのでした。それだけで僕にとっては世界がひっくりかえる位大きく、有り難いことなのでした。

 

そして、ついに12月も終わりに差しかかったころ、思い切って小林先生にそのことを尋ねに行きました。僕はドキドキしながら、小林先生の前に座って言いました。「もしも、もしもですよ、仮に僕が大学院に行きたいなあと思っているとしたら、そのことを先生は許せますか」、小林先生「いいんじゃないですか、わたしは初めからあなたはそうすると思っていたのですよ」。

 

とうとう僕は小林先生にいいと言ってもらえました。僕は同時に大きく深呼吸しました。これは夢ではないか、否、夢などでは無いのだ、確かに僕は小林先生から大学院に行くことを肯定してもらえたのです。中3のとき「彼」から徹底して否定されて、頭が悪い、低能だ、クズだと思いこまされて、大学院など口にするのも許されないと思って生きて来た僕がとうとう大学院に行こうとすることを肯定してもらえたのです。今までそんなことは絶対に無理だと思っていたことがとうとう実現したのでした。

 

そんなおおげさな、まだ大学院に入れた訳でもないのにと思われるかも知れませんが、大学院に入れるかどうかなんてどうでもよかったのです。ただ一言、大学院に入ろうと考えることを「許せる」と言ってもらえただけで僕はもう十分だったのでした。この8年間もの長い間、呪いに縛られていたことから、また一歩解放されたのでした。僕は決してクズではないのだ、ダメ人間でもない、低能でもないのだ、とやっと再び思えるようになったのでした。それくらい小林先生の「いいんじゃないですか」と言う一言は大きかったのでした。そして、小林先生はさらに「逆に大学院を余り高く見過ぎてもらっても困りますが」と言われました。そこで僕は「大学院を高く見過ぎているということは、同時に自分を低く見過ぎているということでしょうか」、小林先生「そうですね、下村君は自分がもう十分にインテリであるという自覚が遅れていたのですよ」。

 

何をもってインテリというのか、何をもって優秀というのか、その基準がどこにあるのか、僕の自覚が遅れているのか、ということについて僕はあまりまだはっきりしたことはいえません。しかし、その日の話し合いによって中3のとき、「彼」に思いこまされたことは真実ではなかったということがそのことではっきりしました。僕はまた少し「彼」の呪縛から解放されたのでした。

 

 

おわり。

 

 

「23歳のエンディング」のあとがき

さて、ここまでが、いじめ体験から、23歳までの、23歳の時に書いた、いじめトラウマ体験・闘病体験を述べた下村順一の体験談のとりあえずのおしまいです。

後日談ですが、結局、わたしは、大学院には進学しませんでした。その後のわたしに興味のある方は、もう一度、下村順一の自己紹介を読んでみてください。

 

そして、この体験談のまとめ(とりあえずの)として、わたしは、「弱さの肯定学」という小論を書きました。それは、トピック⑫誇りをもって生きる、に掲載していますので、ぜひそちらを読んでみてください。これも、またわたしの23歳の時点での到達点です。

 

この体験談は、23歳の時に書き上げたものでしたが、HPにアップし終えるのに膨大な時間を費やしてしまいました、と同時にやっとアップし終えたという気持ちで、少しホッとしています。

 

これらの体験談が少しでも、いじめ体験者にとって慰めや励ましになれば、幸いです。

 

読んでいただいて、ありがとうございました。

 

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