44. 小林先生への告白③

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

44. 小林先生への告白③

小林先生に過去のことについて遂に伝えたということは僕にとってとても大きな意味をもっていました。中3のときから数え、8年かかってやっと僕は、対等な関係にある人に自分の過去を言うことができたのです。小林先生はすべての対等な関係にある人の代表でした。

 

伊藤先生にしゃべったこともとても大きな意味をもっていましたが、しかしそれは医者と患者という特殊な関係だったのです。だから伊藤先生とは別に、もっと対等な関係にある人に自分の過去についてしゃべるということは僕にとってどうしても越えなければならないハードルでした。そして、そのハードルというものを大河内君の死というものがきっかけとなって僕に越えさせたのでした。決して僕の力で越えたのではないのです。僕が強くなって越えることができたのでもないのです。何か見えない力が、僕にそれをさせたのでした。そしてとにかく小林先生に伝えることができたことによって僕自身は大きく前進したのでした。

 

さて、手紙を出して3日後、僕は再び小林先生のところに行こうと思いました。そして、過去のことについて話し合いたいと思いました。そして僕は小林先生のところに行ったらまず最初に、「先生、僕はクズでしょうか」と尋ねようと思いました。とにかく、過去あったことを小林先生に話してしまったのだ、だとしたら後は小林先生に僕がクズであることを否定してもらうことが最も重要なことでした。僕は今まで過去ゆえに、常に自分はクズだと思って生きて来たのです。だから、僕はクズではないのだ、ダメ人間ではないのだ、そのことを僕の過去を知った人に肯定してもらうことが僕にとって一番必要なことだったのです。

 

しかし再び小林先生の研究室にはいることは大変勇気が要りました。

 

僕の過去を知ってしまった人の部屋に入ることほど恐ろしいことはありませんでした。それは小林先生でもです。3年近く親しく付き合って来た小林先生にさえも、それを知られて更にその上でその人のところに会いに行くことはとても勇気のいることでした。普段でも小林先生のところに行くときは緊張して、躊躇してしまい1O~20分ぐずぐずしているのですから、そのときはもっとひどかったでした。研究室の前をうろうろしながら30~40分くらいノックすることができず、躊躇していました。あんまりふんぎりがつかないので、もう帰ろうかとも思いました。しかしここで会わなければもう一生を小林先生から逃げて行かなければならない、ここで絶対に会わなければいけないのだ、と自分に言い聞かせました。

 

しかしどうしても自分の過去を知ってしまった小林先生に自分から会いにゆくことは恐ろしくてできませんでした。研究室の付近をうろうろしながらおよそ40分位が経過し、やっぱり小林先生に会うことはできないのかとあきらめかけたとき、天は僕に小林先生を与えてくれました。研究室のドアがあいて、小林先生がトイレに出て来たのでした。思いもかけず小林先生が出て来たので、僕は逃げることもできず、小林先生と鉢合わせとなって硬直してしまいました。小林先生は僕を見るといつものようにニッコリ笑って、「室に入って待っていてください」と言ってくれました。こうしてとうとう僕は小林先生と会うことができたのです。そして、自分の力で会ったというよりも、天からの恵みであるかのように小林先生のほうから出て来てくれたのでした。

 

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