入学するにあたって、わたしは二つの目標を立てました。そして、それはほとんど絶対的に完遂されねばならないものとして打ち立てられました。それが高校3年間のわたしを貫いていたものでした。
一つは、人間に対する信頼を取り戻したいということでした。もう一度人間を信じたいという痛切な願いでした。それは安心できる温かみのある人間関係を再び築けるようになるということです。
実はいじめられる前、わたしは学年1の秀才の「彼」をむしろ尊敬していたといってもいいかと思います。しかしいじめによってその尊敬もあこがれも信頼もぶっ壊されてしまいました。わたしは何を信じていいのか・誰を信じていいのか分からなくなってただ怯えるようになってしまっていたのです。
わたしは、それを具体的には、演劇部に入って活動することによって成し遂げようとしました。大好きな演劇活動の中でならもう一度自己表現することができると思ったのです。演劇部のことはあとで述べますが、中学校の部活動を通して芝居のことが好きだということが既に分かっていたことは、わたしにとって本当に有難いことでした。
もう一つは、大学現役合格ということでした。しかしその際勉強のために部活動を緩くするということは許されませんでした。部活動には専念し、なおかつ、一定のレベル以上の大学に現役合格するというのが、わたしの打ち立てた2番目の目標でした。これもほとんど絶対的なものでした。絶対に果たさねばならないものでした。
わたしは中3のとき、勉強ができない、頭が悪いということで、徹底して傷つけられ辱められました。そして自己肯定(Self-Affirmation)できなくなっていました。そこでわたしが考えたことは、もしわたしが自己を肯定できるようになるとすれば、もしもう一度前の時(中2)のように自信をもてるようになれるとすれば、それは大学現役合格の中にしかないと思ったのです。わたしをいじめた「彼」は慶応の高等部に入学しました。だから、もしわたしが「彼」と同等の大学に現役で合格できるとすれば(当然「彼」は慶応大学に現役で入学できるわけですから)、わたしは頭なんか悪くない、クズなんかじゃないんだ、と思えるのではないかと考えたのです。これはもう、本当に絶対的な目標でした。もし、これが達成されなかったら、わたしはやはり自分をクズだと認めるしかないのだ、と考えたのです。だからわたしにとってそれは、おのれすべてをかけての絶対に果たすべき目標だったのです。
そして、こうした目標をたてそれを実現する可能性がある間は、わたしは生きのびることができたのです。人間的機能(※)をかろうじて持ち堪えることができたのです。
(※) 数年後にわたしは「うつ状態」となって、あらゆるエネルギーが奪われる状態になるのです。