17. 対人関係障害②・・・主張できない(軽)

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

17. 対人関係障害②・・・主張できない(軽)

ある土曜日、午後から稽古をやることになっていたのですが、もう公演まで何日もなかったので、わたしは授業が終わって昼食を食べたらすぐ稽古を始めたいと思っていました。そこで白井君にそのことを言いました。しかし、白井君はムーミン(学校の近くのカレー屋さん、とってもおいしい)にカレーを食べに行くと言いました。わたしはその時、1分でも時間が惜しい気持ちだったので、昼食はコンビニで済ますように言いました。ムーミンはいつも混んでいて、並ばないと入れないのです。しかし、彼は断固としてムーミンに食べに行くといい、わたしを振り切って行ってしまいました。仕方ないので、わたしは岡田さんと教室(1年F組の教室が演劇部に割り与えられていた稽古場でした。)で先に集まって、白井君が帰ってくるのを待っていました。その時わたしは、昼食を済ませたら、すぐに机を後ろにやって(全部机を後ろに寄せて、空いた半分のスペースで稽古をやるのです。)稽古を始めたかったのです。白井君にムーミンに行くなというくらいですから、本当です。しかし、わたしにはそれができませんでした。なぜなら1年F組の生徒が教室にいて食事をしていたからです。しかし演劇部に1Fが与えられている以上、わたし達は彼らにその場から離れるように言う権利があったのです。そんなに彼らに遠慮する必要はありませんでした。しかし、わたしは過去の傷のため、あらゆる人間関係において、つい「引いて」しまうようになっていたので、彼らにその当然の権利を主張することはできなかったのです。もっとはっきり言えば、「どいて」などと言うことは恐ろしかったのです。さらに悪いことには、1Fは岡田さんの組だったのです。だから岡田さんのほうでも遠慮してしまって、余計言い出しにくくなってしまったのです。

 

それで仕方なく、机を下げずに白井君が帰ってくるのを待っていました。しばらくして教室の窓から外を見ていたら、白井君が帰ってきました。そこで2人で窓から「しらいー」と呼びました。彼はこちらのほうを見ました。岡田さんは彼の表情を見て、「白井先輩、何か怒っているような顔していません?」というのです。わたしは冗談で「あいつはいつもそういう顔しているんだよ」と顔のせいにしました。そうして彼が教室に入ってくると、やっぱり彼は怒っていました。ムーミンに行くなと言っておきながら、自分が帰ってくるまで準備もしてなかったのを見て、腹を立てたようでした。わたしは、白井君の怒っている気配にすぐ気付いて、急いで机を下げ始めたのでした。その後はちゃんと稽古できたのですが、そのことはわたしにとってとても悔しいことでした。わたしだって白井君が来るまでにちゃんと準備をして、稽古をやっていたかったのです。しかし、わたしの中に植えつけられた恐怖心と劣等感のせいで、どうしても教室にいた人たちに声をかけることはできなかったのでした。こういうわたしの気持ちを白井君は知る由もないし、そのことを白井君に話すこともできないし、仕方ないので、愛想笑いをしながら「うっかりしてたよ」と言うたぐいの言葉を言って、その場をしのいだのでした。

 

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