12. 恋愛の蹉跌

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

12. 恋愛の蹉跌

高2の時、1人の女の子に恋をしました。相手は演劇部の1つ下の後輩の女の子でした。彼女が新1年生として入って来てからかなり早い時期に意識するようになりました。一番初めにいいなと思ったのは6月公演の稽古の時話したことがきっかけでした。西戸山公園で稽古をしていたのですが、たまたま2人で話していたら話があってしまい、センスがあっていると思いました。特に2人とも中学の時卓球部に入っていたので、そのことで話が盛り上がりました。それ以降、彼女を意識するようになりました。彼女もわたしと気が合うようでした。そして、6月公演が終わり、次の公演へと移っていったのですが、お互いの距離はますます近くなってゆきました。そして、彼女との距離が近くなればなるほど、逆に、わたしの中にいる悪魔が台頭してきてわたしを苦しめるようになったのです。当時のわたしにとっては、過去の体験はあまりにも大きく、絶対的なものでした。オレはクズだ、オレは屈服したんだ、卑しい最低の人間なんだ、という意識がわたしの前面に押し出されました。そして、そういう意識のとりこになってしまうと、わたしにとって女の子と遊ぶ、付き合うなどということはほとんど絶望的な位に不可能なことでした。

 

悪魔はわたしに脅迫してきました。

「お前はあんなクズだったじゃないか、お前は虫けらだろう、そんな人間が女の子と付き合うことができると思っているのか、バカヤロー」。

 

さらに悪魔はこう言いました、

「ほう、お前女と付き合うっていうのか、上等じゃねえか、それじゃあ付き合ってみろよ、しかし、これ以上距離が近くなってみろよ、彼女は絶対にお前がクズであることに気付くぞ、そして、お前を軽蔑するぞ、それでもいいのかい、好きな女の子にまで踏みにじられてそれでもお前生きて行けるのかい?好きな女の子にまでクズと言われて、お前耐えられるのかい、それでも生きて行けるというならば付き合ってみろよ、やってみろよ、そんなことできるわけないだろうバカヤロー、身の程を知れ、このクソ野郎!」

 

わたしはこの悪魔の脅迫に屈服しました。

「ダメだ、オレはダメだ、もうこれ以上彼女に近づくことはできない」。

つまりこれ以上彼女との距離が近くなることを断念したのです。そのときのわたしにはそれはもうどうしようもないことでした。それくらい過去の体験はわたしにとって絶対的であり絶望的であったのです。後悔するかもしれない、ということも考えました。しかし、後悔すると分かっていても、当時のわたしは身を引かずにはおれませんでした。

 

そして、身を引こうと決めた翌日、夏休みの時学校で戸山祭の稽古をしていました。

恋はキャッチボールのようなものだとわたしは思います。相手が自分のほうに向かって投げたボールを、しっかり受け取り、今度はわたしがそのボールを彼女に向って投げ返す、そして、それを彼女が受け取る、これのくり返しです。そしてだんだんとお互いの心の距離が近くなってゆくのです。

しかし、その日のわたしは違いました。彼女から受け取ったボールをわたしは彼女には返さず、全然違うところに投げてしまったのです。その1球で、すべては終わりました。もう2度と以前のように親密に付き合えることはありませんでした。女の子というのは、そういうことには非常に敏感なのです。すぐにわたしの変異に気づきました。そうして、どうしてあなたはそんなことを言うの、という抗議するような、嘆くような、悲しそうな、そういう目でわたしを見ました。わたしは何も言うことができませんでした。ただ知らんぷりしているほかどうしようもないのでした。

 

その日を境にわたしと彼女の距離は、遠くなっていったのでした。わたしが卒業するころには、もう彼女と同じ空間を共有していても、彼女がわたしのそばにいても、1キロ先に彼女がいるようなそんな距離を感ぜずにはおれませんでした。あの日の前までは、たとえ50メートル先に彼女がいたとしても、すぐ近くに彼女がいるような感じがしていたのにです。
その後後悔の念がなかったとは言いません。しかし今考えても、当時のわたしの心境では、ああするほかなかったのだと思います。後悔することは分かっていたのです。分かっていてもわたしにはああするほかなかったのでした。

 

過去の体験によってわたしの高校時代の恋は押しつぶされてしまいました。後1歩、たった後1歩前へ進むだけで、わたしと彼女は結ばれていたのです。否、別に進まなくても、その状況の流れるままにしておいてもわたしは結ばれていたのだと思います。しかし、あの日たった1歩わたしが退いたためにすべては終わってしまったのでした。その後、1年くらいして、やっと今なら彼女のほうへ行ってもよいと思えるようになった時には、もう遅かったのです。1度崩れた人間関係は、もう2度と同じようにはならないのです。

 

こうして恐怖心に取りつかれ、自分のことをクズだと思いこまされたわたしは、その脅威によって一つの恋を失ったのでした。自分をクズだと本気で思っている人間が、恋をすることはかなり困難を極めることだと思います。恐怖心に捕らわれている人間は、異性と付き合うことなど到底できないのです。なぜなら、異性と付き合うということは、相手に向かって心を開くということだからです。しかし、恐怖心に捕らわれている人間にとって、自分をクズだと思っている人間にとって、それは最も恐ろしいことであり、ほとんど絶望的なことだったのです。

 

前に戻る |  続きを読む

トピック②いじめ後体験に戻る