うつ病を乗り越え、安定した状態を保っている人々は、日々の生活に潜む喜びに対して鋭敏に反応する。いうなれば、幸福を感じる準備、自分の人生を豊かにしてくれるすべての事柄に深く感謝する準備が整っているのだ。彼らがもともと心優しい人間だったとしたら、その思いやりの深さは計りしれないものになるだろう。もちろん、ほかの疾患を生き抜いた人々にも同じことがいえるにちがいない。しかし最悪の癌から奇跡的に生還した人でさえ、異次元の喜びはもたない。それは、大うつ病をくぐりぬけた人々の生活を輝かせているもの、つまり喜びを味わい、かつ他人に与える能力を取り戻したことへの喜びなのだ。
うつ病のおかげで私は自己中心的ではなくなったし、貧しい人々や虐げられた人々を愛せるようになったのだ。そして、私におきた変化はそれだけではない。もしあなたが同じような体験をしたならば、誰かの人生のなかで固まっている「それ」を平気で眺めることはできなくなる。私にとって、方法はさまざまにしろ、ほかの人々の悲しみに深くかかわってしまう方が、悲しみを傍観したり距離をとったりするよりも簡単だ。人々に手を伸ばすこともできない感情が嫌いなのだ。もっとも、善行は必ずしも報われるとはかぎらない。しかし、あなたが距離を保っていたときには存在しない、ある種の平和が愛する誰かの心に宿るだろう。
(『真昼の悪魔』 第十二章「希望」 原書房 堤理華訳)