3 ) 自立的なあり方の開示
2 ) において徹底的な苦悩の体験と時間をかけることにおいて、ある時、新しい生のあり方の次元が、眼前に開き示されるということが起きます。
2 ) において苦悩の種だったのは、依存対象・よりどころの喪失感であり、それによる自己否定感でした。しかしこのような体験(苦悩)を量・質共に積み重ねてゆく時、人の根本的なあり方の大転換が生じることができるのです。
つまり外的な依存対象に頼らなくても生きて行けるということ、言い換えると、たとえかつて自分が誇りに思っていたものを今自分が持っていないとしても、そんな自分をそのままの自分として、あるがままに認めてあげ、肯定してあげようという、そういうあり方へと進む道が、そういうあり方の方がむしろよいということが開き示されるのです。
つまりそれは、外的な依存対象に頼るのではなく、自分の存在のかけがえなさという、自分の内奥にある絶対不変の真実(※)の内に、自分のよりどころを据えるということなのです。そしてそうしたあり方こそ、真に自立したあり方なのです。
(※)自分の内奥にある絶対不変の真実 = かけがえなさ 、とは別に神秘的なものではなく、当たり前のことであり、それはわたし達のあまりに近くにありすぎて、かえって見えなくなってしまっているものこと。トピック⑫:誇りをもって生きるで詳しく語ります。
例:わたしは長い間、「彼」の前にひざまずかせた自分の弱さを呪っていました。どうして自分は強くなくて、弱い人間なのだと悲しみ嘆いていました。弱い人間というのは、わたしにはどうしても受け入れたくない否定的な現実でした。しかし、10年もたったころ、次のような次元が開き示されたのです、それは、たとえ自分は弱い人間・ダメ人間かもしれないが、それはそれでいいじゃないか、気の弱いのがわたしの自分らしさ、わたしのかけがえない自分らしさだとすれば、それはむしろ否定すべきものではなく、わたしらしさとして、そんな自分を、そのままの自分として受け入れてあげよう、そんな自分を肯定してあげよう、愛してあげよう、というように思えるようになったのです(※)。
つまり弱い自分は、否定すべきものでは「ない」ものとして、自分自身に対して開き示され、それによってわたしは、既に自分を肯定できるようになっていたのです。
わたしは再び自己肯定できるようになったのです。
(※) トピック⑫:誇りをもって生きる「弱さの肯定学」を参照のこと。
依存的あり方の崩壊から自立への過程は、依存的あり方において既に安定することのできなくなってしまった否定すべき自己が、否定すべきものでは「ない」ものとして開き示され、それによって自分をそのあるがままの姿で受け入れ・肯定してゆけるようになる道程として、その意味をもつことになるのです。