では、何故苦悩は人を強くするのでしょうか?
人が自立するためには、それまでの依存的なあり方を断ち切らなければなりません。
依存的なあり方から自立的なあり方への道程は以下のようにあります。
① 依存的なあり方の弱さ・もろさ
② 依存的なあり方の崩壊
③ 依存的なあり方の危機
1 ) 新しい依存関係の構築
2 ) 苦悩
3 ) 自立的なあり方の開示
< ①依存的なあり方の弱さ・もろさ >
依存的なあり方をしていることは、自分から見て常に依存対象に自分の存在を左右されることになります。しかし依存対象は可変的な(変わり易い)ものであり、その存在自体根本的に何の保証もないものとしてあります。従って、依存的なあり方には常に不安が付きまとうのです。そして可変的で何の保証もないものである限り、そのあり方は、弱く、もろいと言えます。
(例)彼は片親の母にあらゆる面で依存していた。精神的な面、経済的な面、母親に頼ることで安定していた。しかし、母親が大病を患い、今度は彼が母親の面倒をみなければならなくなった時、すべての安定のよりどころを失った。
< ②依存的なあり方の崩壊 >
依存対象の変化や喪失によって、依存的なあり方をしていた人の安定(バランス)は崩れ、不安と恐怖に襲われることになります。
(例)彼は自分ひとりで考えて行動するということを今までやってこなかったので、何をどうしていいか全く分からず大混乱に陥った。彼は精神的にも経済的にも行き詰まり、これからの現実に対する恐怖とよりどころを失った不安で青ざめることになった。
この崩壊において重要なことは、崩壊の度合いのことです。(依存の)よりどころと言っても部分的あるいは表面的な部分での崩壊は、さして大きな問題にはならないのです。なぜなら代わりの依存対象をすぐに(容易に)見つけることができるからです。
しかしもっとも深い部分での依存対象の崩壊は人に重大な危機をもたらします。例えば、自分がもっとも大事にしているプライドが崩壊した時、その出来事は極めて重大事となる。
人にとってもっとも大きなそして深い依存対象とは、自分の自己肯定の根拠となっているような価値、つまりさしあたりはプライドのことなのです。そしてプライドとは自分の外にある価値(※1)を自分の自己肯定の根拠として据えるものであり、それ自体が人の依存的あり方を示しているのです(※2)。
(例)一流大学-大手商社に就職した彼はそのことを自分の誇りにしていた。それゆえ彼は人よりも優れていると思っていた。しかしリストラで解雇になった時、ただの失業者になった彼にはもう誇るものは何もなく、自分が次に何をやっていいか全然わからなくなった。もちろん、今更無名の企業に就職し直すなんて屈辱でプライドが許さなかった。一方で自分を一人の人間として認めることができなくなった。やがて彼は、貧していきながら、アルコールに逃げることになる。
(※1) 例えば「一流大学」「一流企業」というのは既に社会的に認められた価値であって、人の外に既に存在している価値です。人は生まれ持っては何も持っていませんが、そういう社会的価値を付加することによって自己肯定感・自尊心を増大させているのです。但しどんな社会的・世間的価値(外在的価値)を身につけてもそれは、おのれの外にあるもので、自分そのものの価値(内在的価値)ではないのです。
(※2)そして外在的価値に自分のプライドを据えているということは、結局外在的価値に依存しているのと同じことであり、そのどんなに経済的に自立していても、社会的に地位があっても依存的なあり方をしていることには変わりないのです。同じように、経済的に自立していなくても、社会的に何ら地位がなくても人として真に自立している人はいます。