ところでわたしは精神的にも肉体的にもこうして踏みにじられていったのですが、このことは表面的にはわたしに何か変化をきたしたのでしょうか。わたしの内面においては大波乱があった訳ですが、友達や先生の関わり方はほとんど変わりませんでした。いや、変えることができませんでした。
わたしは中二までにすでに学校内で十分な地位を得ていたのです。優等生としての地位を築いていたのです。だからいまさら「彼」にいじめられている、などというそんな情けないことは言えませんでした。
わたしは生徒会役員として朝礼のときはいつも司会をやっていたのです。また校歌を歌うときはわたしが全校生徒の前に出て来て指揮までやっていたのです。兼部していた演劇部と卓球部では、どちらも部長をしていました。わたしの中学校は生徒数5百人程度の小さな学校だったので、もうわたしは本当に校内で有名人だったのです。またわたしは中学にはいってから勉強も頑張るようになり、学校の成績も常に学年10番以内(学年120名くらいですので10番といっても大したことはありませんが、それでも当時のわたしには学年10番は誇らしかった)は維持していたのです(※)。
そのときのわたしには優等生としてささやかながらも名誉心が芽生えていたのです。
そのわたしがいじめられて一人の同級生の言いなりになっているなんて誰にも死んでも言えませんでした。人一倍人の目を気にするわたしには、それを口に出すことなど決してできませんでした。
それ(いじめの事実)はわたしにとって絶対にあってはならないことだったのです。いまさら優等生をやめることなどできませんでした。だから先生や友達にはそれまでと変わらなく接しました。確かにわたしと「彼」の関係が気になった同級生や先生もいたかもしれません、しかしわたしは「彼」以外のひとの前では、いつも平気で元気そうにしていましたし、「彼」に殴られているのを見られても外目には遊んでいるように見えるように半分くらいにやつきながらやられていたのです。
わたしがみんなの前で泣きだしたり、登校拒否でもすれば周りからもっと重く受け止めてもらえたかもしれません、しかしわたしにとっては、むしろ重く受け止められること、つまり実はわたしがひどいいじめを受けているということを「彼」とわたし以外の人間に認知されることこそがもっとも恐ろしく、耐え難いことだったのです。
いまのこの自分のブザマな姿を、人間のクズになってしまった自分の姿を誰にも知られたくない、それがわたしの唯一の願いでした。そして「彼」から暴力的に暴露されてしまった「弱くて腰抜けなクズ野郎」というそんな自分の真の姿を、一生「秘密」にして隠し通してゆかねばならないのだと絶望的に確信していたのです。
だから恐らくだれもわたしがひどいいじめを受けていたということは知らなかったと思います。
わたしは「彼」を恐れ、そして優等生としての「地位・名誉」が傷つき、崩れるのを恐れたのです。
しかし、表面的にいかに取り繕ってもわたしが「彼」に打ち負かされ、隷属したという事実は、どうしようもないことでした。
(※) しかし学年でぶっちぎりで首位をおさめていた「彼」にとっては、学年で5番以内にはどうしてもはいれなかったわたしなどライバルであるはずもなく、むしろ格好の「頭の悪さ」を侮辱する対象でしかありませんでした。そしてこの侮辱行為は、わたし自身の中に当時あったささやかな名誉心をずたずたに傷つけたのでした。