03. いじめ加害は自己防衛の手段

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

03. いじめ加害は自己防衛の手段

さて嫉妬については、もう少しだけ話しておきます。

 

なぜ「嫉妬」は対象となる人に対する暴力行為を引き起こすのか、ということなのですが、嫉妬の根底にあるのは、いじめ加害者自身が、幸せそうに生きている人に対して、無意識の内に脅威を感じているということです。

 

つまり、幸せそうに生きている人の「よさ」を認めてしまうことは、同時に自分自身の自己否定感覚(自己肯定不全)、つまり、自分自身が幸せに生きれていないこと(つまり自分がその意味で劣る存在であること)をその人自身が直視することへとつながってしまうのです。

 

人にとって、自分が人として幸せでない(ダメな存在である)ということを見るのはもっとも辛く屈辱的なことなのです。なぜなら、人は無意識のうちに、自分が自分のままであっていい、という意味での安定した自己肯定感覚の内にあることが一番の幸せであることを知っているし、その意味で幸せであるということが、もっとも人にとって大切で優位なることであるということも知っているからです。

 

そういう人にとって自分より幸せそうな人の存在を認めることは、自分の存在不全(不幸さ、ダメさ)をも認めることであり、同時に、自分自身のなけなしのプライド(※1)を否定されるのと同じことなので(※2)、いじめ加害者にとって、自分より幸せそうな人の存在を決して認めることはできず、ゆるすことができないのです。

 

自分のプライドに脅威を与える者は決してゆるしてはならず、いじめ加害者自身にとっては、いじめという行為は、悪い行為ではなく、自分に脅威を与えるものに対する制裁行為という意味でむしろ正当化されたものとなるのです。

 

(※1)プライド = 条件付きの自己肯定。でも条件付きである以上は、もしその条件から外れてしまえば自分を肯定できなくなってしまう、頼りないもの。例えば年収3000万円稼いでいることだけがプライドで生きている人の場合、破産したら、その人の存在も同様に無価値になってしまう。その人には自分を肯定するすべがなくなってしまうのだ。気の毒な話だが、本人にとってはなけなしのプライドとは、自分の支えなのである。

(※2)なぜなら「自分は自分のままであってよい」という自己肯定感に比べれば、条件付きの自己肯定であるプライドはちっぽけなものだからだ。

 

いじめ行為とは、いじめ加害者当人にとっては、根本的には、自分を守る(自分の自己否定感を見るという辛いことから自分を守る)ための自己防衛行為と言えるのです。しかし、もちろん、いじめている人は、そのような自覚はありません。そう自覚したくないから(自分が嫉妬しているなどと自覚したくないから)、いじめるのです。そして、相手を不幸に陥いれることによって、自分の正しさ、よさ、優位性、を証拠立てようとするのです。 一方、自分が幸せな人は、他者をいじめる必要を感じないでのです。

 

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トピック⑤いじめの真実