ドイツ文学を代表する作家ヘルマン・ヘッセの作品『デミアン』を紹介します。『デミアン』に出てくる主人公のいじめ体験の描写はまさに「いじめ文学」の最高峰といってもいい出来映えです。素晴らしい文学的表現によって、「いじめの真実と人生、運命」というテーマへと読む者を引き込まずにはおきません。わたしはヘッセ自身のいじめ体験がもとにあるのだと確信しています。あなたはどう思うでしょうか?!これから『デミアン』のいじめ描写の主だっ部分を紹介してゆきますが、興味を持たれた方はぜひ全編を読んでみることをお勧めします。(以下、『デミアン』 (新潮文庫、高橋健二訳) からの転載となります。転載に当たり、日本文芸家協会より許可をいただいております。)
私がすばやく戸を開いて、するりと中に入り、戸をしめようとすると、フランツ・クローマーも一緒に割り込んで来た。中庭のほうからしか光の来ない、冷たい陰気な、石敷きの廊下の中で、彼は私のそばに立ち、私の腕をとらえ、「おい、そう急ぐなよ」と小声で言った。
私は驚いて彼の顔を見た。彼の腕のつかみ方は鉄のように堅かった。彼はなにを考えているのだろう、私をいじめようとでも思っているのかと、私は頭をひねった。いま、大声で激しく叫んだら、上からだれかが私を救いにさっそくかけつけてくれるだろうか、と私は考えた。しかし、私はそれを断念した。
「なにさ?どうしようと言うのさ?」と私はたずねた。
「たいしたことじゃない。ちょっと聞かなきゃならないことがあるだけだ。ほかのものの耳に入れる用のないことなんだ」
「そう?どんなことを言わなきゃならないのさ?ぼくは上に上がらなきゃならないんだよ」
「おまえは知っているだろう、角の水車場のそばの果樹園がだれのものだか?」と、フランツは小声で言った。
「いいや、知らない。水車屋のだと思うよ」
フランツは片腕を私のからだに巻きつけ、ぐっと私を引きよせたので、私は鼻の先に彼の顔を見なければならなかった。彼はいじわるな目をし、悪意のある微笑を浮かべ、顔には残酷さと力とを満ちたたえていた。
「ねぇ、おい、あの果樹園がだれのもんだか、教えてやろうか。リンゴが盗まれてるってことは、もう前からおれにはわかっていたんだ。盗んだやつを教えてくれるものにはだれにでも二マークやるって、持ち主が言ったのも、おれは知っているんだ」
「なんだって」と、私は叫んだ。「でも、きみはなにもその人に言いやしないだろうね」 彼の徳義心に訴えるのはむだだということを、私は感じていた。彼は別の世界の人間で、彼にとっては裏切りはなんの罪悪でもなかった。私はそれをはっきり感じていた。こういうことにかけては、別の世界の人々は私たちとは違っていた。
「なにも言わないだろうって?」と、クローマーは笑った。
「ねぇ、おまえは、おれが自分で二マーク銀貨をつくることのできるにせ金つくりだと思っているのかい?おれは貧乏人なんだ。おまえのように金持ちなおやじを持っちゃいないんだ。二マークもうけられるもんなら、もうけなくちゃならないんだ。たぶんあのおじさんはもっとよけいにくれるだろう」
彼は突然私を放した。うちの玄関はもはや平和と安全のにおいを放っていなかった。私の周囲の世界はくつがえった。彼は私を告発するだろう。私は犯罪人だったのだ。みんなはこのことを父に言うだろう。それどころかたぶん警察が来るだろう。混乱した世界のあらゆる恐ろしいことが私を脅かした。あらゆるいまわしいこと危険なことが、私に向かって召集された。私がまったく盗みをしなかったということは、もはやまったく重要ではなかった。私は誓いさえしたのだ。ああ、ああ!
涙がこみ上げてきた。金をやってわが身を救うほかないと、私は感じ、絶望的にからだじゅうのポケットに手をつっこんだ。リンゴ一つ、ナイフ一つなかった。まったくなにもなかった。そのとき、時計が頭に浮かんだ。それは古い銀時計だった。動いてはいないので、ただぶらさげているというだけだった。だが、うちのおばあさん以来のものだった。急いで私はそれを取り出した。
(『デミアン』 作:ヘルマン・ヘッセ、訳:高橋健二)