なぜわたしがいじめられたか、なぜかくも「彼」はわたしを傷つけたのか、それは当時からおぼろげながらわかっていたように思います。しかし、そのことを確信するような出来事がありました。そのことでいじめられた最大の原因(※)がはっきりしたように思いました。
(※) しかしこれは「彼」がわたしをいじめた、わたし自身の問題についての、わたしの推測の域をでることはできません。またどんな理由であれ、人をいじめていいという正当な理由などないということは誤解のないように言っておきます。
それは1994年3月のことでした。わたしは父と一緒に祖父の法事に兵庫県へ里帰りすることになりました。実はそれまでは、その兵庫に行ったのは、わたしが3歳位のときだけであって記憶はほとんどありませんでした。しかも、わたしの家はほとんど親戚付き合いしていなかったので、兵庫の親戚に会うのもほとんどはじめてのことでした。
そこではじめてわたしは、他人の中にいる父の姿をしみじみと見ました。父とはいつも家族内での、あるいはわたしと1対1での付き合いでした。だから家族の枠を超えて他人と接している父の姿というものを見るのはその時がはじめてのようなものでした。そこでわたしが見たものはというと、それは父が非常におしゃべりだったということでした。そして、調子にのりやすいということでした。人と一緒にいるところではしゃべり続け、だれもそれに対して関心を持っていないのに調子に乗ってしゃべり続けるのです。人に話す暇も与えず、しゃべり続けるのです。そして、ひとつ間違うと、いかにも自分がモノを分かっているような、偉そうなことを言い出すのです。
調子に乗りすぎて、人に顰蹙(ひんしゅく)を買っているのも気づかずおかまいなしにしゃべり続けるのでした。これが父の最大の欠点でした。否、これは池上家(父は下村家の養子でした)の欠点でした。これが池上家の血でした。父の妹、わたしの叔母さんも、父ほどではないにしても、しゃべり過ぎる、調子に乗りすぎるところがあるのです。これは明らかに池上家の血であり、最大の欠点でした。
しかし、父は決して悪い人ではないのです。傲慢な人ではないのです。気の優しい思いやりのあるいい人なのです。そのことはわたしが母よりも父と生活することの方が多かったのでよく分かっていたことです。本当に思いやりのある人なのです。それは父の素晴らしい長所なのです。しかし、非常に残念なことに、その長所は父の欠点によって、池上家の血によって、覆い隠されてしまうのです。実際には父の欠点ばかりが目立ってしまうのです。そうして、周りの人は父のことを苦労知らずとか、万年青年とかいって誤解してしまうのです。
そうした父の姿を見ていて、わたしは、はたと中2位までのわたしを思い出しました。するとまさにわたしもこの池上家の血をちゃんと受け継いでいたということに思い至りました。わたしはまさに父の子でした。小学生の時から落着きがなく、おしゃべりで、調子に乗り屋で、バカなことばかり言って周りを笑わせていました。しかし、周りを笑わせているだけならよいのですが、しばしば調子に乗りすぎて、相手にカチンとさせてしまうようなことを言ってしまうのです。大変失礼なことを言ってしまうことがあるのです。そして、わたしはそれに気づいていないのです。
わたしも父の子です。大変気の優しい子でした。だから、意図的に相手を傷つけるようなことは、やろうと思ってもできないのです。しかし、ついつい調子に乗りすぎて、しゃべり過ぎてしまうと、相手に対して絶対言ってはならないようなひどいことを無意識のうちに言ってしまう(恐れがある)のです。それが原因でわたしは中1の時に、一時は親友であろうと自他共に認めあっていた友達を一人失いました。気づいたときには、もう彼から無視されていました。わたしは気が弱いので、そのままどぎまぎした状態でいるだけでした。幸いその友達とは、数週間後に仲直り(彼のほうから)することができたのですが、悲しいことにもう2度と前のように親しく交際することはできませんでした。
そして、中3のあのことが起こりました。「彼」は小学校の時からの同期で、勉強ができ、スポーツもでき、大変頭のよい人でした。わたしは小学6年生位から、人に認められたい願望が強くなり、勉強をまじめにやり委員なども積極的にやるようになりました。そういうわたしにとって「彼」はわたしの目標であり、尊敬の的でした。自然と「彼」とも仲良くなりました。しかし、わたしにとって親しくなるということは危険なことでした。わたしは親しくなりすぎると馴れ合いになってしまい、調子に乗りすぎて、相手に決して言ってはならないようなことを平気で言ってしまうようなところがあるのです。わたしが「彼」に何と言ったかは覚えていません。しかし、「彼」との交友の中で、わたしはきっと「彼」には言ってはならないことを言ってしまったのだと思います。「彼」は優秀であるがゆえに非常に気位の高い人でした。だから、表には出しませんでしたが、他のクラスメイトを見下しているところがあったのです。そして、その見下していたクラスメイトの一人から、「彼」のプライドにとっては決して許せないような侮辱の言葉を聞いたのだと思います。「彼」はキレたのです。「彼」はきっとその時、中学にいる間はこいつ(わたし)を徹底していじめ抜いてやると心の中で堅く誓ったのではないかと思います。
(※)実際「彼」は卓球部の後輩に「後は(卒業まで)順一をいじめ抜くのがオレの仕事だ」と言っているのを聞きました。
これがわたしがいじめられた第一の理由、積極的な理由と言えると思います。これはあくまでわたしの憶測にすぎませんが、法事のことを思うにつけそう思ってしまうのです。
法事の親戚の前でしゃべりまくる父、それと並んで全くしゃべらない自閉的な息子、これは周りの人には非常に対照的に映ったのではないかと思います。わたしはその時思いました。ああ、僕はこういう池上家の欠点を修正するためにあれだけ痛い思いをしたのだなあ、父は幸か不幸かそういう痛い目にはあわなかったのだなあ、否きっと痛い目にはあっている、しかしわたしほど徹底して傷つけられることはなかったんだなあ、と思いました。
わたしは父の隣に黙って座りながら、つくづく運命の不思議さというものを思いました。わたしはあれだけ痛い思いをして、苦しんで池上家の欠点を克服したのかもしれません。しかし、それが結果としてよかったのかどうかは、まだわたしにはわかりません。