37. 小林先生にいじめの過去を伝える・・・大河内清輝君の死

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

37. 小林先生にいじめの過去を伝える・・・大河内清輝君の死

1994年の11月、大河内清輝君のいじめ自殺の事がきっかけとなり(※)、とうとう大学の小林先生に、僕の過去のことを話しました。否、正確に言うと手紙で書いて渡したのです。8年たってもそれを自分のロから直接人にはなすことは、僕には辛いことでした。

 

(※)当時大河内君の遺書が新聞にのり、それを読んで、いてもたってもいられなくなりました。

ぼくに行動を起こさせる引き金となったのです。

最後の大河内君の声、聞いてあげてください(合掌)

大河内清輝君の遺書

 

手紙を渡した数日後、僕は小林先生のところに話に行ったのですが、これがまた大変勇気のいることでした。結局30分以上研究室の前でちゅうちょし、小林先生自らがトイレに行くために出て来たところを出会ってしまって、それでやっと小林先生の研究室に入れたという程でした。

そこで小林先生といろいろな話をしたのですが、その中で先生が「下村君に一番欠けているのは表現ですよ」と言われたことは、僕にとって非常に衝撃的なことでした。「表現」、まさにこれこそ下村家の血なのです。つまり「表現し過ぎる」のが下村家の血なのです。父もそうですし、おばもそうです。そして、小学校から中学2年までの僕がまさに表現し過ぎ(超おしゃべり)だったのです。その僕が、一番欠けているのは表現だ、と言われたのです。

 

僕はつくづく運命の不思議さを感じました。そして、だとしたら「彼」が僕に言った言葉「お前に恐怖心を植え付けてやる」の裏には、お前をもう二度と表現できない体にしてやるぞ、という呪いが込められていたのではないかと思います。そして、その呪い、呪縛に打ちひしがれながら、この8年間もの長い間僕は苦しみ続けて来たのでした。この僕の恐怖心、自閉性は今(’95、1)もってまだ根強く僕の心の中で巣くっています。この僕の心の傷は、もしかしたら一生背負って行かなければならないかもしれません、しかしあるときふと、この下村家の血が僕の中で復活し、表現を始めるかもしれません。それは今の僕には分かりません。しかし次のようには言えると思います。つまり、僕が傷ついている限りは、以前のように表現し過ぎることはもうないだろう、ということです。それが善いことなのか、悪いことなのか僕にはよく分かりませんけれど。

 

前に戻る |  続きを読む

トピック④うつ病闘病体験に戻る