32. 診断書・・・単位をめぐって

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

32. 診断書・・・単位をめぐって

それから僕は家に帰り早速、単位をくれそうな先生を探してみました。しかし、残念なことに登録してある授業のほとんどが通年(講義は通年、前期、後期に分かれています)科目だったのです。通年の成績は前期と後期の成績を合わせて判定されるのです。

 

しかし、僕は前期にはほとんど出席しなかったし、レポートも出していなかったのです。だからほとんどの通年の科目を取ることは不可能でした。

しかし、そんな中でも文献講読の授業だけはなんとか出席はしていたと思いました。その授業の担当の先生は厳しい先生で年間5つのレポートを書かなければなりませんでした。

 

しかし、僕は小林先生に言われたこともあって、交渉しだいではレポートの数を軽減してくれるとか、出席日数を多少緩めてもらえるとか、可能ではないかと思いました。そして、早速その先生のところへ行って病気のことを話し何とかレポートの数を減らしてもらえるように頼みました。

しかし、その先生はあまりいい顔をせず(いつもはニコニコしているのですが)「何をもって単位を与えるかということは問題です」と言いました。そして、とりあえず病気の診断書をもってくるように言われました。

 

以前、この先生と交渉しても無駄だと哲学科の先輩から言われていましたので、やはりダメかなと思いました。しかしとりあえず診断書を伊藤先生に書いてもらいに行きました。すると会計で3千円もとられました。僕はびっくりして何かの間違えではありませんかと尋ねました。しかし、それは決して間違えではなく、処方せんや診察をしてもらうのとは別に、書類を書いてもらった場合は特別に高いのだということでした。

 

これはちょっとショックでした。なぜなら診断書をもって行ったら、単位をくれるというのなら分かりますが、3千円もかけて診断書を書かせて、それでも単位をもらえないというのは非常にきつく感じました。病気のことなら僕がちゃんと話したのに、それを信用せずに診断書をもって来させて何の考盧もないのだとすればあんまりだと思いました。

僕は診断書などせいぜい500円くらいだと思っていたのです。だから診断書を書いてもらったのです。3千円かかると初めから分かっていればその先生は可能性は低いと分かっていたので、その科目はあきらめていたのです。

 

僕は、いや僕の家はその先生のために3千円ささげたようなものです。そして、その報酬は全くのゼロ、僕は病院から出ながらその先生に診断書と同時に領収書もたたきつけてやろうと思いました。こんな紙切れ一枚のために3千円もかかったのだぞと言ってやろうと思いました。僕の親が一生懸命慟いて稼いだ金を無駄にしやがって、と腹だたしく思いました。しかし、いつも僕はこう心で思うだけなのです。実際それが現実のこととなるとどうしても弱気になってしまうのでした。

 

その時もそうでした。その先生に会ったら領収書をたたきつけてやろうと思っていました。そして、先生に会いに行きました。先生は僕を見つけるとニコっとしてくれました。僕も思わず愛想笑いをしてしまいました。愛想笑いなどしているときではない、と思いながらも、つい相手に合わせてしまうのです。

そして、ドキドキしながら「診断書を持ってきました」、といって診断書をその先生に渡しました。そして僕はさらに「領収書」もありますと弱々しく言いました。するとその先生は見向きもしないで「領収書はいりません」とあっさり言われてしまいました。

 

僕はその先生にこの書類がどれだけしたかということを知ってほしかったのです。もともと余り考慮する気のなかった先生に僕の家が3千円もの金を払ったということを知ってほしかったのです。僕は親に対してすまないと胸が痛みました。そして、この先生にも少しでもいいから胸を痛めてほしかったのです。僕が話せば済むものを、わざわざ診断書をもってこさせ、それがどんなに高いものか、3千円という金を払うのにどれだけ僕の親が苦労しているのかということについて少しでも心を痛めてほしかったのです。

しかし、その先生はそれを見るまでもなく僕につき返しました。僕は本当は、そこで、あなたのためにうちの家は3千円もささげたのですよ、と言ってやりたかったのです。しかし、それは現実を前にしては想像にしか過ぎませんでした。僕は何も言えずただバカのようにそこに突っ立っているだけでした。

 

先生はすぐにどこかへ行ってしまい、僕はただガックリとして、下を向いたまま歩き始めました。僕は心の中で叫びました、「いつもこうなんだ、いつも想像の中では相手を打ちのめしているのに、現実になるとすぐに弱気になって引いてしまうのだ」。

 

僕にとってこうした挫折感は珍しいことではありませんでした。僕はこの22年間いつもこれの繰り返しなのです。そのときもいつもと同じようにつくづく自分が弱くダメ奴だと思い、しばらく落ち込んでしまったのでした。

 

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