次に小林先生のところに言って、現状を話しました。
すると思いもよらず希望が与えられました。
小林先生に留年のことを話すと、何とかダブらずに卒業できるように考えてくれました。
1つは単位についてですが、僕は大学初めの2年間で94単位とっていました。
哲学科の卒業に最低必要な単位数は140でした。だから後46単位取ればよかったのです。しかもその46単位のうちに、卒論の4単位も含まれていました。だから授業としては42単位取ればよかったのです。これは決して無理な数ではないのです。
しかし僕が苦しいと思ったのは、僕は3年以上になってから取らなければならない必修の授業をすべて落としていたからです。文献講読というというかなりハードな授業を最低二つはとらなければならなかったのですが、僕はそれを2つとも落としてしまっていたのです(そのときはそう思っていました)。それから選択必修で最低3つは取らなければならなかったのですが、これもすべて落としました。
僕は、この必修の5つとさらに卒論を書くということは物理的に無理だと思っていたのです。
しかし、小林先生はこんな僕に希望を持たせてくれました。
まず単位のことですが、1つには今からでも先生との話し合い次第では何とでもなるということでした。大学に金を払っているのは学生のほうなのだから、事情次第ではいくらでも融通が聞きますよ、と小林先生は言ってくれました。このことでいままで授業に対して単位がもらえる希望が出て来ました。
さらに大学3年で単位が取れなかったにしても、やり方次第では大学4年生の1年間で卒論、必修5つも含めた46単位は取れるといわれました。つまり小林先生が言うには文献講読など別に予習しなくてよいというのです。文献講読(ドイツ語)の授業のために3時間勉強するというのならそんな予習はしなくてよいというのです。「哲学の仕事の中で文献講読を真面目にやるなんて10分の1くらいなんですよ」文献講読のスペシャリストにならない限り、そんなに文献講読の予習に力を入れなくていいというのです。
小林先生も文献講読の授業をもっているのですが、これはかなりハードなゼミで、単位を取得するのは結構大変なのです。しかし来年もし僕がそれを取るなら予習をしなくてよいといってくれたのです。僕は小林先生のゼミに出たいと思っていたのですが、あまりにもハードなので、大学3年のときはあきらめて、他の文献講読を取ってしまったのです。
しかし小林先生にこう言ってもらえたお陰で、1年間で文献講読をとるという希望が出て来ました。
しかし、これは当然僕が大学4年になって元気になったらの話です。「うつ状態」から回復していなければ、どっちにしろ4年間で卒業することは不可能なのです。その時は11月の終わりごろだったので来年の春ごろまでは、よくなるかなと思い、それで大学に卒業する希望をわずかにつなげたのです。
それと卒論のことがありました。大学3年は勉強に関しては、ほとんどゼロでしたので、何をやっていいのか見当もつきませんでした。何をやりたいのかを決めるには、あまりにも学問的蓄積がないので困りました。
それに関しても小林先生は寛容でありました。3年生の11月までに卒論の担当教官を決め、さらに、卒論テーマについて予備登録という形で提出しなければなりませんでした。
僕が何をやっていいかわからないと言ったところ、小林先生は取りあえず適当にテーマをきめて、もし後でちがうことをやりたいというのなら、後で修正してもよいと言ってくれました。
これで卒論に対するプレッシャーからかなり解放されました。しかし、これもまた4年生になって元気になればの話でした。
それからもうひとつアドバイスをもらいました。それは卒論さえ大学4年の12月に提出できれば、後の取り残された単位は、翌年の前期までに履修し半年遅れで卒業できるというものでした。
これは父の高齢のことを考えると1日でも早く卒業したい僕にとっては大変うれしい情報でした。半年でも早く卒業できるのであればそれに越したことはありません。親のこと、そして勉強のことを考えると大変よい情報だと思いました。こうして小林先生から幾つかの提案をあたえられて、少し先が開けた感じがしたのでした。