25. 弁解の余地なく困り果てる私

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

25. 弁解の余地なく困り果てる私

結局浪人することに決まりました。ほとんど周りに流されるように予備校を決めました。しかし、もうその時のわたしには、現役時代の時のような元気はありませんでした。現役時代は、現役合格という唯一の、そして最後の希望があったからこそ頑張ることができたのです。しかし、現役合格はその人にとって一生に一回だけのチャンスなのです。もう現役で受からなかった以上、その希望(つまり、中学2年生のときのように人間として自信をもって生きてゆく)は完全に断たれました。例えば、現役時代なんかにサボったりなんかして、そういう人には現役で受からなくても、後で言い訳することができるかもしれませんが、わたしはもう言い訳する余地はありませんでした。わたしは現役時代、綿密に計画を立てかつそれを実行しました。わたしは、現役で行けない奴はクズだ、現役で行けない奴はダメ人間だ、とそれこそ呪文のようになんべんも唱えつつ、自分を追い詰めながら勉強して行ったのです。そして、これだけ完璧にやったのだから、もしこれで落ちたら、もうわたしは完全なダメ人間として見極めるしかないというところまでやってしまったのです。完璧にやったということは、すなわちそれが達成されなければ、完璧に希望が断たれるということを意味したのです。だからこの不合格によって完全にわたしはダメ人間だと決定しました。いまさらわたしはダメではないなどと弁解する余地など残されていませんでした。もう何をやってもダメだということが決まってしまったのです。もう一度受験したらいいではないかと思われるかもしれませんが、いまさら大学受験することは、わたしにとって何の意味もないことでした。現役だから意味があったのです(※)。わたしは現役で合格することをわたしが人間であることの絶対条件として、生きていたのです。それがかなわなかった以上、もうわたしにとって大学受験は何の意味もなかったのです。もう何の目標も見出せませんでした。これははっきり言って本当に困りました。本当に自分のことをダメだと思っている人間は、人にそのことを決して言うことはできないのです。現役合格が失敗してダメ人間と決まってしまったと思いこんでいた当時のわたしとしてはなおさらそれを人に言うことはできませんでした。だから本当に困りました。

 

わたしはどこに向かって歩いて行ったらいいのか、全く分からなくなりました。自分の生に何の意味も見出せなくなりました。例えて言うなら、真っ暗な無重力状態の中で、何の方向も分からずただ漫然と宙に浮いているような、そんな状態でした。実はこういう事態は、現役時代にも考えたことがありました(当時のわたしにとってそれはタブーでしたが)。もしこれで現役で行けなかったら、さぞ困るだろうな、と最悪の事態として予想していたのです。その予想は見事に的中しました。むしろそれは滑稽でありました。わたしはその当時本当に困りました。何でそのとき生きていたのか不思議なくらいでした。もし、その当時のわたしを現実世界に引き留めていたものがあるとすると、それは家族の愛情でした。だから予備校時代は、勉強にはほとんど手がつきませんでした。現役時代の無理がたたったのだと思います。浪人の時と、大学1年の時に、2回バリウムを飲み、胃カメラも飲みました。その当時はまだ気づいていませんでしたが、既にうつ病がかなり進展していたのです。しかし、そのことを認識するのには、大学2年まで待たねばなりませんでした。こうした状況の中で浪人時代が始まったのです。

 

(※) 「彼」が慶応大学へ現役で進学する以上、「彼」と同一ラインに立つことを最高目標としていたわたしにとっては現役での大学進学が絶対条件だったのです。

 

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