15. 自嘲癖

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

15. 自嘲癖

高2の夏休み位からでしたでしょうか、わたしは毎晩ジョギングをするようになりました。近くの公園を2週、大体2キロ位だったと思います。きっかけはただ体力増進のためだったのですが、それがだんだん自分を傷つけるような仕方でエスカレートしてゆきました。

どういうことかというと、はじめはただもっと早く走ろう、もっと早く走ろうと思っていただけだったのですが、気がついたら自分のことをひどくののしりながら走るようになっていました。

 

「この虫けらのクズ野郎が、悔しかったらもっと早く走れ、しょせんお前はクズなんだよ!」

 

という風に自己をののしる自己が出てきてわたしを攻撃し、わたしを追い詰めました。すると今度はわたしは、このののしりに負けまいとしてもっと早く走ろうと頑張るのです。わたしのランニングの原動力は、このののしる自分とそれに打ち勝とうとする自分の葛藤そのものでした。そのことがわたしをもっと早く走らせたのです。やがて、自嘲しながら走るのが習慣のようになってしまいました。そしてこれは、普段の生活の中でも見られるようになりました。気づいたら自嘲しているのです。

 

「このクズ、バカ、最低男、お前なんて生きている価値はねえ、死んでしまえ、死ぬこともできないクソ野郎!」というように自嘲がどんどんエスカレートしてゆきました。わたしは自嘲しながら、わたしは自分自身で自分を傷つけてしまっている。わたしはクズ人間だから、自分自身でさえもわたしを傷つけるのが当然のような存在なのだ、と思うようになりました。わたしは、人に傷つけられるのと同時に、自分自身にさえ傷つけられてしまう存在なのだと思うようになりました。

 

ここに来てわたしの被害妄想は頂点に達しました。この自嘲癖は半年位続きました。日に日に自嘲する内容がエスカレートしてゆきました。しかし、ある時ふと次のことに気づいてしまって、それからは自嘲はあまりしなくなりました。つまり自嘲というものは、結局マスターベーションの裏返しなのだ、ということでした。自分を慰め、愛することの裏返しとして、自嘲していたのです。結局自分自身にさえ傷つけられていると思うことによって、そういう悲劇的な自分に陶酔していたのでした。だから決してその自嘲は、わたしを傷つけるようなものではなく、かえってわたしを慰めるようなものだったのです。つまりはマスターベーションだったのです。そのことにふと気づいた時、わたしはもう自嘲をすることをやめました。

自嘲(※)とは決して自分を苦しめるようなものではないのだ、と言うことがその時分かったことでした。

 

(※) 自嘲癖は、一種の自傷行為だったのではないかと今では思われます。

 

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