01.苦悩とは①・・・自己否定苦

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

01.苦悩とは①・・・自己否定苦

苦悩とはそもそもどういう事態を指すのでしょうか。まずは、苦悩とは何かということについてお話したいと思います。そして次に苦悩そのものが人生においてどういう意味・意義を持っているのかを、そして最後に、苦悩の体験(いじめ体験)を経てわたしが学んだことについてお話したいと思います。

 

苦悩とは、自己否定的態度において起こるものです。その反対である自己肯定的態度とは、自分は、あるがままのそのままの自分で、存在してよい、という許容的な態度のことです。これは同時に自己愛の内容そのものと言っていいでしょう。

 

それに対し、自己否定的態度とは、自分をあるがままに肯定できない、愛してあげられない、という自分に対して非許容的な態度のことです。具体的には、自分の行動、体験、感情のいずれか、または全てを肯定できない、つまり許せない、という状態です。許せないことから帰結するのが自己否定であり、要するに自分はダメだと思うことです。そして、自分をダメだと思うこと(自己否定的態度)の内にあるとき、人は心理的に痛みを感じるのです、つまり苦悩することになるのです。

 

以下それぞれについて具体的に見てゆきます。

 

行動に関して言えば、例えば、たばこ中毒になっている人がいて、やめたいと思って何回も禁煙するのだけれども3日と続かない時、もしその人がたばこを我慢できず吸ってしまうという自分の「行動」を許せなければ、行動をコントロールできない自分(素質)に対して自己否定的になり、心理的に痛みを感じ、つまり苦しむことになります。

 

体験に関して言えば、わたしのように過去のいじめの「体験」を自分のダメさ(素質)のせいだと思いこんで、自分がダメ人間であることの証拠だと思っているとしたら、その体験は自分にとって絶対に認めたくないものであって、そのようにその体験を理解している間は、自分をその「体験」ゆえに否定し続け、ずっと心が痛み、苦しみ続けることになるのです。

 

感情に関して言えば、例えば、常にいい子を演じている人がいるとして、他人に対してムカついている感情があるのに、誰とでも仲良くしなければならない、人を憎んだりしてはいけないと思いこんでいたら、そのムカついている感情を意識のどこかに抑圧し、もしそういう感情が自分の意識のおもてに出てきたら、自罰的に自分を責め、自分の感情(素質)、そして自分を否定することでしょう。自分の自然な感情を肯定してあげることができない人は、自分を責め、そして自己否定的になって、苦しむことになるのです。

 

このように苦悩とは、自分の行動・体験・感情における自己否定的態度において起こるのであり、苦悩とはすなわち、自己否定苦のことなのです。そしてもし人間の心理的な幸せ(心の平安)ということを考えるなら、それは自己肯定的態度、つまり自己愛の内にあるのです。もっと砕けた言い方をすれば、心理的な幸せは、そのつどの自分と(行動・体験・感情において)仲良くやってゆけることの内にある、と言えると思います。

 

そして、先ほどは、行動・体験・感情という風に分けて説明しましたが、これらを全体として決定しているものがあるとすれば、それこそ「運命」といえるのではないでしょうか。なぜなら運命とは、そのつどの現実(行動、体験、感情)を決定するものとして考えられるから(※)です。したがって、最終的には、苦悩とは自分の運命を受け容れられない(肯定できない = 否定する)ことによってもたらされる痛み・苦だと言えると思います。

 

そして自己とは、最終的には、自分の運命の全体、のことなのです。

 

従って、自分はあるがままのそのままの自分で存在してよい、とは、

自分は、自分の運命のままのそのままの自分で、存在してよい、ということなのです。

 

(※) 「このように行動したのはわたしの運命だったのだ」、「このような体験をしたのはわたしの運命だったのだ」、「このような感情をいただいたのはわたしの運命だったのだ」。すべて運命として理解することができる。しかしこれは決して個人の責任を免除しようというのではない、そのような結果を招いたのはその人の責任だとしても、あくまでもそれはある条件下(役割の下)で考えた場合の責任なのであって、その結果の無条件的な原因は、やはりその人の運命としてしか考えられない。

 

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