トラウマの治療・回復は残念ながら長期間(3年、5年、10年)となることが多いです。長くトラウマの中で生き続けるためには、「居場所」が必要です。
居場所とは何か?それは生活の拠点となる自宅・部屋の確保ということもそうなのですが、ここで主張したいのは、「物理的な意味での自分空間」、のことではなく、「人間関係における居場所」のことです。
人間は、「人間関係」のことです。人は一人ぼっちでは生きてゆけないのです、それは物理的な意味でではなく、精神的な意味でです。つまり人とのつながりが何もない状態では、居られないということです。人が生きてゆくためには、必ず他者とのつながり、情緒的な交わりが必要なのです。つまり人間関係が感じられて、はじめて人は、この世に居られるのです。
ですからあなたと同じ空間を共有することのできる相手(他者)を見つけてください。それはまずは、医師でもいいし、心理カウンセラーでもいいし、家族でもいいです。
しかしできれば、治療者や家族ではなく、それ以外の他者がいいです。治療者はプロであり、ある役割の中での関係です。家族との付き合いは、無条件的な付き合いといえるかもしれませんが、別言すれば、付き合わざる得ない人間関係といえます。
そうではなく、もっと自由な、ある意味、なんの義務や束縛もない、勝手気ままな、そういう人間関係が必要なのです。単に好きだから付き合う、という関係なら最高です。もし今まであなたが培ってきた友人がいるのであれば、その友人を今まで通り大切にして付き合ってください。
しかしいじめトラウマの苦しみを、それを知らない友人に話したり、分かち合ったりするのは相当難しいことです。わたしは、いわゆる友人に自分のいじめトラウマについて話せるようになるのに、14年かかりました。いじめトラウマで傷ついているということは、自己否定的になっているということです。自己否定的になっている人が、友人に自己のダメだと思っている部分について語ることは、もっとも困難なことでしょう。
では、既存の友人以外に誰と関わればいいのでしょうか。
それは「仲間」です。
「仲間」とは、「同じ問題を持った人たち」ということです。いじめトラウマ、もしくは、トラウマ、もしくは、精神疾患、を持った人たちとの関係は、まさに「仲間」です。仲間の前では、自分の自己否定的な秘めた部分を隠す必要がありません(トラウマゆえの不自然な言動や挙動不審等)。かざらずに付き合うことができるし、お互いがお互いの存在を許容しあうことができるのです。
大切なことは、コミュニケーションの場・相手が絶対的に必要だということです。コミュニケーションといっても、何もいろいろ話さなければいけないというわけではありません。要は、その場に、自分が何の条件もなく許容されて、存在していられる、ということを実感できればいいのです。
いじめトラウマに苦しんでいるわたし達は、概して、人間関係の中で「孤立」してしまっていることが多いでしょう。対人恐怖はいじめトラウマの基本症状(傾向)の一つです。しかしいじめトラウマを生き抜くためには、いや、人がこの世に居続ける、ためには、人は、コミュニケーションする場、自分の存在を認めてくれて、かつ許容してくれる他者が、どうしても必要なのです。コミュニケーションは、精神的な意味での空気です。空気がなければ、人間はすぐに窒息死してしまうのです。
ところでそもそもいじめ体験とは、コミュニケーションにおける暴力体験のことでした。わたし達は、人としてもっとも必要な事柄において傷を負っているのです。しかし傷を負いながらも、このもっとも必要な事柄を、やはり求めてゆくしかないのです。
トラウマを生き抜くために、少しでも長く生き続けるために、居場所を見つけてください。それは結果的には、病院の中かもしれないし、自宅かもしれない、学校かもしれないし、趣味の場かもしれません。どこでもいいのです。
問題を等しくする仲間は、精神科のデイケアや自助グループで見つけることができます。自助グループに関しては、後でまた書きます。