「心の傷(トラウマ)」とは一体どういうことなのか、についてお話してゆきたいと思います。
心が傷ついているとは、現実理解が歪(ゆが)んでしまっている状態、のことです。
「現実」という概念は、ちょっとわかりにくいと思われますので、現実についてまずは少し解説したいと思います。
まず、現実とは、「あなたの現実」であるということです。
「あなたの現実」は3つあります。
① あなた自身の現実
② 他者という現実
③ 神・運命という現実
① については、例えば今あなたが、お腹が空いているとしたら、それは「あなた自身の現実」として、空腹(という現実)があるということです。また、あなたがタクシーに乗っていて交通渋滞につかまってしまい、イライラしているとしたら、「あなた自身の現実」として、イライラ感・焦燥感(という現実)があるということです。それ以外にも、あなた自身の現実についていくらでも考えられますね。
② 他者という現実も、「あなたの現実」であるのだとすれば、これは正確にいうと、「あなたにとってのその人(他者)という現実」ということになるでしょう。クラスに、Aさんという人がいるという事実だけでは、Aさんは、「あなたにとっての現実」ではありません。例えば、Aさんがあなたのことを嫌っていて、いじわるしてくるとあなたが自覚した時、はじめてAさんは、あなたにとって、自分をいじめてくるひと(他者)として、あなたの現実になるのです。そしてAさんのいじめであなたが困っているとすれば、「Aさんという現実」は、あなたにとって重い現実として理解されるでしょう。
③ 「神」というとぴんと来ない人もいるかと思いますので、「運命」という言葉を使って、やはり、「あなたの現実」について説明します。例えば、あなたは生まれつき目が見えない、視覚障害者とします。そのために、いわゆる健常者とは違う苦労やハンディを背負って生きてゆくことになるでしょう。ところで、自分が視覚障害者として、母体の異常とか、DNAの問題だとか、いろいろ科学的な理由を述べることもできるかもしれませんが、あなたが視覚障害者として生まれたことは、あなたの人生とっては「運命」です。親に原因があるとか他の要因のせいにする見方もできますが、あなたが視覚障害者として生まれてしまって、そのことを背負って生きてゆかなければならないこと自体は、原因や理由というよりも、あなたの「運命」とでもいうしかないのです。そしてどんな運命もそれ自体に善いも悪いもありません(たとえ障害者として生を享けたとしてもです)。そしてこのことは、次のように言えるのです。
あなた(の人生)にとって、視覚障害者として生きてゆかねばならないということはあなたの運命であって、それはあなたの現実なのです。
もっと簡単な例も出せます。
近年の不景気で、長年勤めていた会社を退職せざる得ない状態になったとします。いわゆるリストラです。不景気になった原因も、またその勤めていた会社が社員のリストラを実行しなければならなかった原因も、いろいろ考えられるでしょう。しかし、あなた(の人生)にとっては、あなたが今になって会社をくびになってしまったということはあなたの運命であって、それはあなたの現実なのです。
最後の例として、わたしにとって、いじめはわたしの運命で、わたしにとってもっとも深い現実だったということを言っておきたいと思います。