さて一浪目の受験結果ですが、これは受かっても受からなくても、もうそんなにわたしにとって意味のあることではなくなっていました。だから、簡単にまとめて書いておきたいと思います。第一志望は上智大文学部・哲学でしたが、他に外国語学部・独語、文学部・独文も受けました。それから受験日が早いということで、同志社大・哲学を受けました。そして、早稲田大の文学、教育、法を受けました。そして、さらに滑り止めとして、願書を6校近く出しました。父親がしきりに言うので、夜間部の願書も用意していました。しかし、滑り止め校は、一番初めの同志社大が受かってしまったので、ほとんど受けませんでした。
上智大と早稲田大の結果ですが、上智大は哲学科だけ受かりました。早稲田大は教育だけ受かりました。これがわたしの7年間の結晶でした。わたしは7年かけてやっと上智大の哲に受かることができたのです。普通の合格者はそうじゃないと思います。たとえばわたしの高校(都立戸山高校)では、1、2年生は適当に勉強します。そして3年生頃からやっと受験を意識して勉強をやりだし、一浪目はがんばって勉強し、それでやっと慶応クラスに合格すると言った具合です。彼らが本当に集中して勉強するのは、ほんの2年間くらいなのです。しかし、わたしは違いました。わたしは中1の時から全力で学力を上げることに努力していたのです。わたしはそれまでの7年間ずっと集中して(中3の時はいびられながら)勉強し続けたのです。それでも現役で受かることはできず、浪人しても上智大の哲学しか(当時のわたしの気持ちを素直に表現するためにあえてこういう表現を使いたいと思います)受からなかったのです。戸山生なら、2年間集中したら入れるところをわたしは7年かかったのでした。正直なところ、わたしは上智の外国語や早稲田の文・法にも受かりたかったのです。第一志望が受かったのだからいいじゃないかと思われるかもしれませんが、わたしにとっては辛いことでした。7年間集中して、上智の哲、早稲田の教育しか受からないのか、なんてわたしは頭が悪いのだろうと改めて思いました。上智の哲と外国語、早稲田の教育と文・法では明らかに偏差値に差があるのです。わずかではありますが、前者より後者のほうが偏差値が上なのです(※)。そして、わたしは7年かけて勉強して、その後者の偏差値に達することができなかったのです。
このことは少なからず当時のわたしを傷つけました。もう相対的な立場をとるのはよそう、結果で自分を測るのはやめようと思っていても、7年かけてもその偏差値まで達することができなかったという事実に傷つけられるのをわたしは抑えることはできませんでした。今でもそのことはわたしの心の底で痛みとなって残っているのでした。
「いじめ」、「偏差値」といったものに追い立てられて生きてきた一現代っ子の悲哀がそこにはあるのでした。
(※)上智大なら外国語学部、早稲田大なら第一文学部、法学部は花形学部なのです。上智大の哲学や早稲田の教育は偏差値71、外国語学部や第一文学部、法学部は偏差値73~74位なのです。こまかくてくだらいないことだと思われるかもしれません。しかし、この2~3の差は如実に受験結果に反映されますし、花形学部にも受かるのと受からないのとでは気分的に全然ちがうのです。女々(めめ)しいと思われるかもしれませんが、人間は女々しいものなのです。