時間との戦い
トラウマの「人生における体験の意味」(おのれのトラウマ体験の意義づけ)をものにするという思想的課題に応えるには、大変な時間がかかります。そして、一度激しく破壊されてしまった自己肯定感覚を取り戻す、あるいは新たに獲得し、自分のものにすることにも大量の時間を必要とします。これらのことを達成・実現するためには、とにかく時間をかけて(生き延びて・生き抜いて)その「心の傷」を風化させ、と同時におのれ自身の深部にあるパワーが再びおのずから湧き出て発動してくるのを辛抱強く待ち続けなければならないのです。
この2つの事態がおきてはじめて、うつ症状・PTSD症状というものは軽快しはじめるのです。
トラウマ性うつ病の闘病は、まさに「時間との戦い」なのです。
時間との戦いとは、苦しい状況の続く中にあっても、なんとかしてその時々をしのぎ、(おのれの存在を)持ちこたえてゆく、ということなのです。そして「しのぎ、持ちこたえる」とは、ただ苦しいだけのこのひと時ひと時を、それに対してなんの意味も見いだせないままで((※)自分の人生・体験に対する価値への確信が崩れてゆく中で)、それでも生き続ける、というようにしのぎ、持ちこたえることなのです。
(※)というのもうつ状態にあっては、すべての肯定的確信は崩れます。病気だからこのような状態にあるのは仕方がないという思いも崩れて、やはりおれはだめだったのか、という否定感情(悲観的気分)に囚われてしまうことがうつ状態の核心なのです。
うつ病とは人生がコントロール不能になること
トラウマ性うつ病者にとって、「人生はコントロール不能なもの」となります。
自分の人生は今や自分の思い通りになるものではなく、運命(絶対的現実)に自分の人生を乗っ取られることになります。うつ状態に苦しむとは、おのれの人生のコントロール不能感に、悩まされるということなのです。別言すると、自分の人生をコントロールする能力の喪失感に苦しむということです。そして「自分の人生をコントロールできない」ということは、人にとってもっとも受け入れがたい現実・事態なのではないでしょうか。
しかし、そもそも人生とはおのれのコントロール下(制御下)にあるものでしょうか?
重篤のうつ病を体験してわたし達ははじめて知るのです、現実があって、それをわたしがコントロールするところに、「わたしの人生」がある、という考え方が幻想なのであって、そうではなくて、現実(運命)があって、(それがそのつど、わたし達の前に具体的な現実として立ち現われるのですが、)その現実におのれを従い合わせるところに、「わたしの人生」がある、のです。そしてそれは、その現実をあっていいものとして受け入れてゆくということなのです。
現実を自分勝手にコントロールするのがわたしの人生なのではなく、現実を、変えられないこと(避けられないこと)として(その意味で絶対的なこととして)認め、わたしの人生のひとつとして内に受け入れてゆくというプロセス自体が、わたしの人生ということなのだと。
「これ(この現実)」は、わたしの人生ではない(こんな人生は嫌だ、あってはならない!)、ではなく、
「これ(この現実)」が、わたしの人生であり、答えなのだ。そしてそれをあってもいいものとして(有意義化して)引き受けて、受け入れて立つ(存在する)ところに、わたしが「わたしの人生を生きる」、ということの究極的な意味があるのだ。
そうした真実をうつ病は、わたし達に開き示してくれるのです。うつ病という過酷な「現実」からそうした真実あるいはメッセージを聴きとることができるようになった時、トラウマ性うつ病・PTSDははじめて、軽快へと向かい、それは自分の人生に対する再評価を可能とし、本質的な意味での自己肯定が可能となるのです。