ドイツ文学を代表する作家ヘルマン・ヘッセの作品『デミアン』を紹介します。『デミアン』に出てくる主人公のいじめ体験の描写はまさに「いじめ文学」の最高峰といってもいい出来映えです。素晴らしい文学的表現によって、「いじめの真実と人生、運命」というテーマへと読む者を引き込まずにはおきません。わたしはヘッセ自身のいじめ体験がもとにあるのだと確信しています。あなたはどう思うでしょうか?!これから『デミアン』のいじめ描写の主だっ部分を紹介してゆきますが、興味を持たれた方はぜひ全編を読んでみることをお勧めします。(以下、『デミアン』(新潮文庫、高橋健二訳) からの転載となります。転載に当たり、日本文芸家協会より許可をいただいております。)
「持ってるかい?」と、彼は冷やかにたずねた。
私は握りしめた手をポケットから出して、彼の手のひらにお金を落とした。最後の五ペニヒ玉のちゃりんという音がまだ消えないうちに、彼は勘定してしまった。
「六十五ペニヒじゃないか」と、彼は言って私を見つめた。
「うん」と、私はびくびくしながら言った。「それだけしかぼくは持っていないんだよ。それじゃ少なすぎるってことは、よくわかっているけど、それでみんななんだよ。もう持っていないんだよ」
「おまえはもっと利口だと思っていたがな」と、彼はほとんど穏やかな調子でそしった。「名誉をとうとぶ男のあいだには秩序がなければならん。正当でもないものをおまえから取ろうとは思わんのだぜ。こんなニッケル銭なんか、しまってくれ、さあ! 向こうのひと―だれのことだか、おまえも知ってるだろう―向こうのひとは値切りなんかしやしないぜ。あのひとは払ってくれるんだ」
「だって、ぼくは、ぼくはそれしか持っていないんだよ! それはぼくの貯金だったのさ」「それは、おれの知ったことじゃない。だが、おれはおまえを不幸にしたくはない。あと一マーク三十五ペニヒ貸しておこう。いつそれをよこすかい?」
「ああ、きっとあげるよ、クローマー! いまはわからないけど―たぶんすぐもっとたくさん手に入るよ。あしたか、あさって。おとうさんに言えないことはわかってるじゃないか」
「それはおれには関係のないことだ。おまえを困らせようというんじゃない。おれは実際お昼前に金を手に入れたいところなんだ。おれは貧乏なんだ。おまえはきれいな着物を着ているし、お昼にはおれより上等なものが食えるんだ。だが、なにも言うまい。どっちみちおれのほうは少し待とう。あさっての午後口笛を吹くから、そのときはかたをつけろ。おれの口笛を知ってるな?」
彼は口笛を吹いてみせた。私はそれをなんども聞いたことがあった。
「うん知ってるよ」と、私は言った。
私なんか物の数でもないように、彼は立ち去った。ふたりのあいだには一つの取引きが行われたのであって、それ以上のなにものでもなかった。
今日なお、クローマーの口笛を突然ふたたび聞いたら、私はぎくっとさせられるだろうと思う。そのとき以後、私はたびたび彼の口笛を聞いた。いつもたえず聞こえるようにさえ思われた。この口笛の迫って来ないような所も遊戯も勉強も考えも、ありえなかった。それは私の独立を奪い、いまや私の運命となった。私はよく、穏やかで色美しい秋の午後、非常に愛していたうちの小さい花壇に出た。すると、昔の子どもの遊びをふたたび取り上げてみたいという、不思議な衝動にかられた。私は、私より幼くまだ善良で自由で無邪気で保護されている少年になってみた。しかしその最中に、いつもの予期のごとく、しかも思いがけず、かき乱すようにクローマーの口笛がどこからか響いてきて、遊戯の糸をたちきり、空想を破壊した。そして私は拷問者について、よくない忌まわしい場所に行き、言いわけをしたり、金の催促を受けたりせねばならなかった。そういういろいろなことがおそらく数週間続いた。
それが私には幾年も、それどころか、はてしなく続いたように思われた。リーナが買い出しに行くかごを出しっぱなしにしておくようなとき、料理台から五ペニヒ玉や一グロッシェン玉を盗むことはあったが、お金のあることはまれだった。そのたびごとに私はクローマーからののしられ、軽蔑を浴びせられた。私こそ、彼を欺き、彼の正当な権利を留保しようとするものだった。私こそ、彼に対し盗みを働き、彼を不幸にしているものだった。一生を通じ、そのときほど難儀がひしひしと胸に迫ったことは少なく、それほど大きな絶望と屈従を感じたことはなかった。
(『デミアン』作:ヘルマン・ヘッセ、訳:高橋健二)