ドイツ文学を代表する作家ヘルマン・ヘッセの作品『デミアン』を紹介します。『デミアン』に出てくる主人公のいじめ体験の描写はまさに「いじめ文学」の最高峰といってもいい出来映えです。素晴らしい文学的表現によって、「いじめの真実と人生、運命」というテーマへと読む者を引き込まずにはおきません。わたしはヘッセ自身のいじめ体験がもとにあるのだと確信しています。あなたはどう思うでしょうか?!これから『デミアン』のいじめ描写の主だっ部分を紹介してゆきますが、興味を持たれた方はぜひ全編を読んでみることをお勧めします。(以下、『デミアン』 (新潮文庫、高橋健二訳) からの転載となります。転載に当たり、日本文芸家協会より許可をいただいております。)
「クローマー君」と、私は言った。「ねぇ、ぼくをつき出しちゃいけないよ。そんなことしちゃ、よくないよ。ぼくの時計をあげるよ。さあ見たまえ。ぼくはあいにくほかにはなにも持っていないんだよ。これを取ってもいいよ。銀製だよ。上等な品なんだけど、ちょっとこわれたところがあるのさ。修繕させなくちゃならないんだ。」
彼は微笑して、時計を大きな手に取った。その手を見つめて私は、それがどんなに乱暴で、私に対しどんなに深い敵意を持っているかを、どんなに私の生活と平和とを侵そうとしているかを感じた。
「銀製なんだよ―」と、私はおどおどしながら言った。
「銀がなんだい!古時計がなんだい!」と、彼は深い軽蔑をこめて言った。「自分で修繕させろよ!」
「でも、フランツ君」と、私は、彼がかけ出して行きはしないかという心配のあまり、ふるえながら叫んだ。「まあ、ちょっと待ってよ!どうか時計を取っておくれ!ほんとに銀製なんだよ、正真正銘。だってぼくはなにも持ってないんだもの」
彼は冷ややかにけいべつの目で私を見た。
「じゃ、おれがだれのとこに行くか、承知なんだな。警察に言ってもいいんだ。おまわりをおれはよく知ってるんだ」
彼は向き直って行こうとした。私は彼のそでをつかんで引き止めた。そんなことになってはならなかった。彼がこのまま立ち去った場合、起こってくるいろいろなことを忍ぶくらいなら、死んでしまったほうがずっとよかった。
「フランツ君」と、私は興奮のあまり、しゃがれ声で、嘆願した。「ばかなことをしないでおくれよ。ねぇ、冗談なんだろう?」
「いかにも冗談さ。だが、おまえには高いものにつくぜ」
「フランツ君、どうしたらいいか言っておくれよ!ぼくはなんでもするから!」
彼は目をなかば閉じて私をじろじろ見、また笑った。
「ばかなことを言うなよ!」と、彼はお人よしを装って言った。「俺が言わなくたってよく承知してるじゃないか。おれは二マークもうけることができるんだぜ。それを捨ててしまうほどおれは金持ちじゃないんだ。そりゃわかってるだろう。だが、お前は金持ちで、時計まで持っている。二マークおれにくれさえすればいいんだ。それで万事かたづくんだ」
その理屈はわかった。だが、二マークの金!それは私にとって十マーク、百マーク、千マークと同様に大きな金で、手に入れようがなかった。私はお金は持たなかった。おかあさんのところに小さな貯金箱があずけてはあった。中には、おじさんが来たときとか、なんとかいう機会に入れられた十ペニヒ玉や五ペニヒ玉がいくつかはいっていた。そのほかになにも持ってはいなかった。その年ごろではまだ小づかいはもらわなかった。
「なんにも持っていないんだよ」と、私は悲しげに言った。「お金なんかちっとも持っていないんだよ。でも、ほかのものなら、なんでもやるよ。アメリカ・インディアンの本や兵隊やコンパスなら、あるから、取ってきてやるよ」
クローマーはずぶといいじわるな口をぴくっとさせただけで、床につばを吐いた。
「つべこべ言うなよ!」と、彼は命令的に言った。「がらくたなんか、ひっこめておけ。コンパスなんかなんだい!これ以上腹をたてさせないで、金をだせよ!」
「でも、ないんだよ。お金なんかもらわないんだよ。自分にゃ、どうにもならないんだもの」
「じゃ、あす二マーク持ってこい。放課後、下の市場で待ってるから。それでいいんだ。金を持って来ないと、ひどいぞ!」
「だって、どこから取って来たらいいのさ?ほんとにどうしてもなかったら―」
「おまえたちの家には金はいくらでもあるんだ。それは、おまえのものも同然だ。じゃあ、あすの放課後だぜ。いいかい、もし持って来ないと―」彼は恐ろしいまなざしを私の目の中に射こんだ。そしてもう一度つばを吐くと、影のように姿を消した。
(『デミアン』 作:ヘルマン・ヘッセ、訳:高橋健二)