この作品(『いじめ後』)は先に述べたように小林先生の勧めがきっかけで書き始めたのですが、はじめは別にそんなに書く気はありませんでした。僕に文章なんて書けるわけないと思っていました。ところがちょっと試しに書いてみたところ、止まらなくなってしまったのです。次から次へと書きたいことが頭に浮かんで来てどんどん書けてしまうのです。気がついたら原稿用紙で300枚位書いていたのです。自分でもびっくりしました。しかも僕はそれをうつ状態が最もひどかった時期に書いていたのです。
実際何をやるのもおっくうだったし、だから暇を持て余していて、しかし暇をつぶすことができないという非常につらい状態にあったのです。それにもかかわらず自分自身のことを書くことだけはできました。もちろん一日何時間もできる訳ではなくせいぜい一時間くらいですけれど、そのときだけはうつであることも忘れて夢中になって文章を書けたのです。
それでこれは一体どうしたことだろうと思って精神科の伊藤先生にそのことを話してみました。すると伊藤先生は「それはきっとカタルシスですよ」と指摘してくれました、カタルシス、どっかで聞いたような言葉ですがはっきりどういう意味か分かりませんでした。
それで家に帰って調べてみたところカタルシスとは「自己の直面する苦悩などを表出することによってコンプレックスを解消すること」と辞書に書いてありました。僕はそれを読んで、なるほどなと思いました。
こうした辛いうつ状態のなかで文章を書くことが可能だったのはまさにそれがカタルシスだったからだと思います。だからこの作品はうつ状態の中でカタルシスによって書かれたものなのです。この文章の8割はうつ状態のかなりひどい時期に書かれたものなのです。だからこの作品の意義は先に示しておいた「三つの意義」(※)ともう一つ、うつ状態の中でカタルシスによって書かれたものであるということが付け加えられるのではないかと思います。
(※)「三つの意義」とは、この『いじめ後』というわたしの手記の冒頭に書かれたものです。いまのところは公開していません。