外界との関係における一度目のピークは、大学2年の3月でした。そして、この時点では休学はやめにしました。
そして二度目のピークは大学3年の11月にやって来ました。
大学3年が始まるに当たって、僕は再び期限を設定してしまいました。
先程もう勝手に期限を決めるのはやめようと言いました。
しかし、今度の期限はそうした主観的なものではなく、もっと客観的なものだと思いました。
つまり、11月までによくなっていなかったら、大学4年間の半分以上がつぶれることになるので、それではいくらなんでも4年間で卒業することは無理だろうということです。 客観的に言って4年で卒業する事は無理だろうということです。
つまり、その場合には自動的に留年せざる得ないと思ったのです。
「うつ状態」と言う病気は急によくなるということはないのです。
だから、仮に11月によくなり始めたとしても、初めの1ヵ月くらいはあまりエネルギーを使わないようにセーブし、そして12月の終わりごろまでよいときが続いたら、やっと翌年から少しづつ活動ができるようになる、と言った具合なのです。
それが11月になっても悪くては、もう11月も12月も恐らくダメであろう事はそれまでの経験から分かっているのです。だからせめて、11月に調子がよくなって初めて大学を4年で卒業する可能性も出てくると思ったのです。
そういった意味で僕は一つの目印として、11月という期限を考えたのです。
僕も、小林先生も、両親も、伊藤先生も、まさか11月まで病気が長期化するとは思っていませんでした。今年中には何とかなるだろうと思っていました。しかし、病状は一向によくなりませんでした。3月以降ずっと不調が続きました。20種類近くの効うつ薬を飲み、量もどんどん増やして行きましたが依然として不調が続きました。
前面には11月まではと思っていましたが、心の底では夏休みが終わるころには何とかなっているだろうと思っていました。しかしそれは無残にも裏切られました。
そして、10月に入り後期になっても不調が続いていたので、だんだん不安になって行きました。
「もしかしたら11月になっても改善されないかもしれない、しかし今年中には何とかなるだろう、なんとかなるはずだ」と自分に言い聞かせました。しかし、依然として不調は続きました。
10月が過ぎ、とうとう11月がやって来ました。ところが10月の最後の週にもらった薬が効いて、11月の初めのころは少し調子がよくなりました。(しかし、その代わり副作用が出て来てしまいました。僕は11月から12月にかけて、およそ2か月間射精ができませんでした。)そしてこの調子のよさは、3週間続きました。
始めはどうせすぐに悪くなってしまうだろうと思っていました。それが1週間つづき、2週間目もつづきました。これはもしかしたら本当に回復して来たのかなと、少し思い始めました。
しかし、以前からの経験もあるので「いやまだ2週間だこれが後2ヵ月くらい続かないと本当に回復したと思ってはいけない」と自分に戒めました。
しかし、3週間目に突入したころには「このままの調子で今年が終われば、来年からは頑張れるのではないか」と思い始めました。
しかし、その好調も3週間で終わりました。
11月の終わりころには、再び「うつ状態」に陥ってしまったのです。しかし、この時のショックは大したものではありませんでした。「もしかしたら」という期待はありましたが、大学2年の2月のことがあったので、結構すんなりそのときの現実を受け入れることができました。「やっぱりダメだったか」、と少し落胆しました。