とにかく3年生になったら、やりたいことを思う存分やれると思っていた僕にとって、3月になって「うつ状態」になってしまったこと、しかも今度は波をもってではなく、ずっと「うつ」が続いてしまったことは非常にショックでした。
僕は先にも述べたように、本当に勉強(※)がしたかったのです。頭の悪いバカかも知れませんが、バカはバカなりに一生懸命勉強をしたかったのです。だから大学2年生のとき、自分の力の40%位しか使えなったことは、僕にとってとても辛いことでした。
「僕はどうせバカで大学院なんか絶対いけないのだし勉強できるのは今しかないのだから、だから、とにかく大学にいる間は精一杯勉強しよう」、そう思っていたのです。そしてやっと本当に回復したと思ったら、その1ヵ月後、今度は前よりひどい形で「うつ状態」がやって来たのです。
(※)ここでの「勉強」は、学問的な勉強、具体的には、「大学の哲学科での勉強」、ということです。
このまま行けば、大学3年の期間も「うつ状態」によって奪われてしまうと思いました。大学2年だけでなく、大学3年も満足に勉強できないなんて耐え難いことでした。そうしたら、結局、ちゃんとやれたのは、大学1年だけになってしまう。せっかく大学に入ったのに、一年間しかちゃんとやれないなんて、それは僕にとって本当に耐え難いことでした。
それで3月の終わりごろから考え始めたのは「休学」のことでした。僕にとって一番大切にしていたのは、勉強でした。それが「うつ状態」によって2年間奪われるくらいなら、いっそ休学して一年間ゆっくり休養して、それで新たに大学3年から始めたほうがよいのではないかと考えたのです。3月になって再び「うつ」に落ち込んでしまったこと、しかもそれがずっと続いてしまったことは、僕を悲観的にさせました。もう「休学」するしかないのではないか、と思いました。
しかし、「休学」することには大きな問題がありました。それは両親が高年齢だったということです。特に父は64歳でした。現役で卒業しても、66歳になってしまうのです。つまり僕が卒業する前に死んでしまう可能性があるのです。それは、経済的に困るとか、家族の支えがなくなるといった心配ではなく、下手をすれば父が生きている間に卒業証書を見せてあげることができないということでした。
父は前々から「卒業だけはしてくれ」と言っていました。親にとってせっかく大学に入れたのだからちゃんと卒業してほしいと思うのです。しかもできれば自分が生きているうちに卒業してもらいたいと思うのです。それは人情というものです。こういった親心というものは夏目漱石の『こころ』の「両親と私」の冒頭のところでよく述べられています。
「大学位卒業したって、それ程結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」(略)「つまり、おれが結構ということになるのさ。おれは御前の知っている通りの病気だろう。去年の冬、御前に会った時、ことによるともう三月(みつき)か四月(よつき)位なものだろうと思っていたのさ。それがどういう幸せか、今日までこうしている。起居に不自由なくこうしている。そこへ御前が卒業してくれた。だから嬉しいのさ。せっかく丹精した息子が、自分が居なくなった後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれるほうが親の身になれば嬉しいじゃないか。」(『こころ』夏目漱石)
僕が卒業するとき、父はもう66歳なのです。実際いつ死んでもおかしくない年齢に達しているのです(※)。だからでき得る限り早く卒業してあげたいのです。1年卒業が遅れれば父はもう67歳なのです。これは非常に危ないのではないかと思いました。別に特に病気をしているのではないのですが、高校時代に2回ほど救急車に運ばれたこともあるのです。そうした出来事も僕に父の死を現実的なものとして意識させました。
だから僕はこの3月から4月にかけて勉強への情熱と両親への思いとの間に挟まれて苦しみました。このまま大学3年生になって、しかも去年以上に勉強できないということは僕にとって本当に辛いことでした。しかし、親にこれ以上負担をかけ下手をすれば両親の生存中に卒業してあげられないということも、僕にとってとても辛いことなのでした。
(※) いささか大げさな思い込みだったかもしれません。寿命の平均でいえば、まだ若い年であったのだから。しかし実際父はわたしが大学を卒業した年の秋、68歳で亡くなったのです。脳腫瘍でした。おそらく数年前から病気にかかっていたようで、当時から日に日に老けてゆくのが見て取れました。
ところで、先程から「勉強、勉強」と言っていますが、この勉強に対する情熱は、自分は低能だから、学問などする能力がないという意識(劣等感)から出ているものでした。そういう意識に脅迫されていることが、僕の勉強にたいする情熱の源となっていたのです。そして「うつ状態」にある時は、この脅迫の度合いが強くなってゆくのです。だから、勉強をしたいという思いのほうが、親を思う気持ちより強くなってしまうのです。過去からの脅迫が、今度は親を思う気持ちを打ち負かしたのでした。