わたしはその時初めて、劣等感は優越感の裏返しであるということに気づいたのです。無意識の内に人間を、上・中・下と識別していたのだと思います。こうした固定観念が、それまでのわたしを最も苦しめたものでした。わたしは中学2年の時(いじめられる以前)、自分は上等な人間だと思っていたのです。他人よりも優れているとうぬぼれていたのです。そのうぬぼれが強いだけ、屈伏させられ、ひざまづかされた体験は深くわたしを傷つけたのでした。人間を上・中・下で見ている限りわたしは救われるはずないのでした。しかし、当時のわたしにはそのことが分からず、自分は下の人間だと思いこんで絶望していたのです。しかし、その苦しみは、実は他人に対する優越意識がなしたわざだったのです。
本当は人間を上・中・下に分けることなどできないのです。だれが偉くだれが卑しいなどということは言えないのです(※)。ただ人間は自分の生を、その人なりに精一杯生きるという他には何もないのです。
その日を境にわたしは劣等感から解放されていったのでした。
(※)この出来事があった当時は実際そのように考えましたが、いままた改めて考えてみると、あるいは人間に上・中・下のようなものもあるのかもしれないとも思います。しかし、もしそのようなものがあったとしてもその上下の基準は決して数値化されたり、目に見えたりするものではなく、基準によって順位付けするという相対的な立場とは全く違ったところ・絶したところで成立するような上下であるように思われます。