苦しむということは、人生において一体どんな意味・意義があるのでしょうか。いじめ・いじめ後体験を経てわたし達は何を得る機会を与えられているのでしょうか。そもそも苦しむことに意義や価値などがあるのでしょうか。
わたしはあると思います。苦しむことは、人生においてもっとも価値のあるものだと今のわたしは思っています。わたしはそれについてここでお話したいと思います。そして苦悩の意味づけができた時はじめて、いじめ・いじめ後体験は克服され、それは同時に新しい真に誇りある人生の始まりとなるのです。
苦悩によって、人は、本当の意味で強くなり、真に自立した人間になれるのです。
強い人 = 自立した人 と考えてください。
さて、「強い人=自立した人」のお話をする前に、まず「弱い人=依存的な人」の話をしたいと思います。
弱い人の特徴は、
① 現実をゆがんで見る(知る)。
② 正しいこと・善いことを実践できない。
③ 真に自立して自分を生きることができない。
弱い人は常に他(他者、外的価値)との依存関係(利害関係・かけひき)の中にあることによって、知識や行動が制限されてしまっています。
① について
常にかけひき(利害関係)の中で生きているので、現実(対象)をあるがままに受け取ることができない、ゆがんで受け取ってしまう。
(例)彼は、クラスでいじめられているA君のことを、みんなが不潔だと言っているだけの理由で、A君のことを汚いと思っている。A君が実際に不潔かどうかは問題ではなく、みんな(他者)と意見を合わせることが彼にとって重要であった。
② について
常にかけひき(利害関係)の中で生きているので、現実(対象)と正しく関わることができない。
(例)彼はA君がクラスでいじめられているのを知っている。彼はいじめは悪いことだと知っているが、自分もみんな(他者)にならって、A君を無視することにした。
③ について
① ②で見たように、常にかけひき(利害関係)の中で生きているので、結果として知識も行動も常に他者のものであり、自分を生きることができず、他者を生きることしかできない。
(例)彼は、いじめグループに従属している故、判断も行為もいじめグループ(他者)のものであり、自分を生きている実感がもてず、常にいじめグループの動向にビクビクしている。