わたしは7年もの間、自分をクズだと思って生きてきました。ダメ人間だと思って生きてきました。そして、そのことがもっともわたしを苦しめたことですし、そのことがわたしの苦しみを長期化させた最も大きな原因の一つでした。
だから伊藤先生(※)との話し合いの中でも、わたしはクズでどうしようもない奴なんです、と言うことを、うつむきながら何度も訴えました。それに対し伊藤先生は
「君はクズではない、もし君がどうしようもない人間なら、私はあなたの相手などしない。君がクズでないと思うから、私は君の治療をしているのです。」と何度も何度もわたしに言ってくれました。
(※)大学2年21歳の時はじめて受診した精神科の主治医。以降5年間にわたってお世話になる。
そう言われることによって、今まで絶対だと思っていたことが、少しずつ突き崩されてゆきました。つまり、自分はクズだ、という絶対的だと思われていた事実がやっと相対化されていったのです。そして、今まで信じていたことは、歪んだ認識なのではないかとやっと思えるようになりました。つまり、それは「傷」だったのだと初めて気づいたのです。
しかし、これは結構大変なことなのです。本当に傷の中にいる人間は、自分が傷ついているということを自覚すらできないのです。傷の中から出ることによって初めてそれが傷であるということ分かるのです。わたしはそれが傷であると分かるのに7年もの年月(※)を要したのですから。
(※)中3のときのいじめ体験から数えて7年。
逆に今度は伊藤先生の方がわたしに「クズとは一体どういう意味ですか。」と尋ねてきました。
自分自身を指すものとして無意識の内に使っていたので、「クズ」とは何ですか、と改めて訊かれてみると、すぐには答えられませんでした。それで自分でもあんまりはっきりしないまま、「生きている価値もない、ただ存在しているに過ぎないもの、ですかね」と答えました。
すると伊藤先生は、「それならみんなクズなんですよ、人間もただ存在しているに過ぎないのですよ、そういう意味でみんなクズなのですよ。」と言われてしまいました。その日はそれ以上話は発展しなかったのですが、診察が終わった後も、伊藤先生が言った「人間はみんなクズだ」ということについて考えていました。
こうして幾つかの発見とテーマをもって、再び小林先生(※)のところに話にゆきました。わたしは小林先生に言いました、
「僕は最近、精神科医との話し合いなどを通じて初めて自分が傷ついているということに気づきました。どう傷ついているかというと『自分はクズである、と信じている』という風に傷ついているのです。僕は今まで自分はクズだ、ダメ人間だと思って生きてきたのです。そして、それが真実であると信じ込んでいたのです。だからとても苦しかったです。自分のことをクズと本当に思ってい生きているなんて、苦しいに決まっています。しかしそれは過去の体験によって植えつけられたものだったのです。それが真実であるということを思いこまされてしまったのです。そして、それが真実ではないということが最近やっと分かりかけてきました。つまり、僕はクズである、というのは真実ではなく、歪んだ認識なのだと、その歪んだ認識こそ、僕の心の傷そのものだということに僕はやっと気づいたのです。今まで絶対的だと思っていた自分はクズだという事実がやっと相対化されてきました」。
(※)大学時代の哲学科の教授であり、現役時代の恩師。現在も親交を持たせてもらっています。
すると小林先生は、伊藤先生と同じように、「でも下村君は決してクズじゃないですよ、外面的にみている限りでは、結構うまくいっているように見えますよ。下村君はもう平均より先に進んでしまっていますよ」と言ってくれました。
わたしがうまく行っているか、あるいは進んでいるかは別として、小林先生にクズではないと言ってもらえたことも、やはりわたしにとっては大変うれしいことでした。そのことが更に、わたしの傷と、それが歪んだ認識であるということをはっきりさせてくれました。
そして伊藤先生に言われた「人間はみんなクズなのですよ」ということについて僕は小林先生に次のように言いました。「確かに人間もみんなクズなのかも知れません。それは真実だと思います。それを内的な成長の過程を通して悟るのなら、大変喜ばしいことだと思いますが、そんなことを全く考えたことのなかった精神が、外的な力(いじめ虐待)によって一気にクズに引き落とされてしまった場合、これは悲鳴を上げるくらい辛いことなのですよ。頭で観念的に『人間はみなクズだ』と了解することは簡単ですが、それを体験するということ、つまりクズになってしまうということは大変なことなのです」。
これについて小林先生も「いじめ」の事実は知らせてはいませんでしたが、「そうですね」と同意してくれました。