こうして僕が大学3年の初めころに想定していたことは、あっけなく崩れてしまいました。
僕が留年もしくは休学することは、僕の心の中で決定的になりました。
そして、再びそのときの自分の状況を外界に説明しなければならなくなりました。
留年のことを両親や小林先生、そして日曜塾においては今の状況を師匠や塾生に説明しなければならないことになったのです。
一番初めに言ったのはやはり両親でした。
母親のほうは結構すんなり伝えることができました、というよりも母のほうから聞いて来たので僕は答えざる得ませんでした。
しかし、父に言うときはかなり勇気がいりました。自分の部屋で呻吟しながら、ちゃんと言わなければいけないと自分に言い聞かせました。だからなかなか父の部屋に行くことはできませんでした。結局20~30分ちゅうちょしたあげくやっと父のところへ行って、留年のことを告げることができました。
大学3年の4月、休学のことを父に言ったのと同じように丁寧にそのことについて言いました。
大変申し訳ありませんが、この時期(11月)になっても調子がよくならないので留年はもう免れません、と僕は父に言いました。どんな返事が返ってくるのだろうと僕は内心ドキドキしていたところ、 父は案外あっさりと
「仕方がない、しかし気持ちだけはおおらかでいるようになさい」と言ってそれっきりでした。
僕はあんなにもあっさりと承諾してもらえたので、ちょっと気抜けした感じでしたが、再び「申し訳ありません」と言って、それから僕の部屋に戻りました。
今考えてみてもそのときの父の対応は適切だったと思います。父はただ「しかたがない」と言っただけでしたが実際本当にしかたなかったのです。もしそれ以上のことをいうなら、かえって僕を苦しくさせるだけなのです。運命は甘受するしかないのです。父は運命を受け入れるということを身につけていたのです。
さらに感心したことは「心をおおらかにもて」と言ったことです。実際、精神病という不幸に見舞われていて、しかも高齢の父にさらにもう一年負担をかけることを思うととても辛くつらく思いました。そういう時はとかく心が乱れがちです。ある人はだれかを憎みまた運命をのろうかも知れません。しかし、どんな不幸に陥っても気持ちだけはしっかりしておきたいものです。息子が「うつ状態」と言う病気にかかり、今にも留年しようという時に、ただ一言「気持ちだけはおおらかにもて」というのは大変立派な返事だったと思います。
僕はいまだに「うつ状態」の中にありますが気持ちだけは、しっかりしていたいと思います。
しかし、気持ちがしっかりできなくなってしまうのが、「うつ状態」の本質であるのですが。