本格的に受験勉強が始まったことは、次のことを意味していました。つまり演劇部を引退したということは、わたしにとって第一の、そして唯一の自己表現の場が失われることを意味したのです。今まで演劇部を通して、芝居的にも人間的にも自己を表現する場がありました。しかし、引退してしまった以上もうどこにも自分を表現する場はありませんでした。クラスの中ではほとんど友達はいなかったし、辛うじて佐々木さん、田辺さんがわたしと仲良くしてくれただけでした。さらに、大学現役合格のために、わたしは病的なまでに勉強しました。それによってわたしはますます苦しくなって行きました。勉強の動機も不健康なものでした。「オレは自分がクズであるということを実証するために勉強するんだ、ダメな奴はどんなに努力してもダメなんだ、ということを実証するために勉強するんだ」とわたしは友達に言っていたのです。「現役で行けない奴はクズだ、現役で行けない奴はクズだ」と言って自分を追い詰めながら勉強をしてゆきました。こんな勉強の仕方が楽しいはずがありません。わたしは常に自分はクズだという意識に脅迫されて勉強しました。そういう苦しみのために勉強しました。それから逃れるために勉強しました。しかし、勉強すればするほど、もっと苦しくなるのです。そして、苦しくなればなるほど、さらにもっと勉強してしまうのです。こういう悪循環がわたしの内面において起こっていたのです。
そうして、表現する場もなく、ますます自閉的に苦しくなってゆく中で、その苦しみが一つの兆候としてわたしの表面に現れました。それは「眉間のしわ」です。演劇部時代も苦しかったけれどまだ自己を表現する場があったので、眉間にしわは寄りませんでした。しかし、演劇部をやめ受験勉強にはいったとたん、眉間にしわが寄るようになったのです。自己の苦しみを発散させる場がなくなったとたん、眉間にしわが寄るようになったのです。わたしは高校3年生以降ずっと眉間にしわが寄っていました。毎日毎日眉間にしわが寄りました。気がついたら眉間にしわが寄っていました。以降3年間眉間にしわが寄らなかった日は1日だってないのです。苦しくなかった日など1日だってなかったのです。わたしは18、19、20という青春真っ盛りの楽しい時期にずっと眉間にしわが寄っていたのでした。