21. できる子になろうともがく私

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

21. できる子になろうともがく私

こうしてなんとか中学校を卒業し、高校生となったのですが、ここから又、新しい闘いが始まったのです。わたしは、自分がクズであると信じ込まされたことによって、極端な倫理意識(いわゆる脅迫的・強迫的できる子症候群)を持つようになってしまいました。例えば、これは実際「彼」から言われことですが、

 

「バカは笑うな勉強しろ、バカは遊ぶな勉強しろ」

 

というのです。お前は虫けらのような存在だから、笑うことも許されないし、遊ぶことも許されない、ただ勉強だけしていろというのです。これは中学を卒業しても、わたしの中で生き続けて、ほとんどこれがわたしの発想の原点、動機にまでなってしまいました(※1)。わたしはダメな奴だから勉強しなければいけないんだ、遊ぶことなんて許されないんだ、クズはまじめに生きることしか許されていないのだ、という風に、徹底して自己を倫理化(※2)して行こうとしました。しかし、その場合、倫理的な自分を見て、それに満足することはあり得ませんでした。わたしにとって倫理的であるのは、自分が優れた人間であることの結果ではなく、自分がクズであることの結果なのです。クズだからこそ倫理的でなければいけない、クズは倫理的に生きることしか許されない、遊ぶことなど許されない、遊ぶということは上等な人間にのみ許された行為なんだ、という風に考えるようになってしまったのです。だから中3の6月以降、わたしの中で「遊ぶ」ということはなくなりました。わたしは日常ではほとんど遊ぶことができなかったのです。ただ1つだけの例外を除いては。その例外とは演劇のことなのですが。だから実際この8年間(※3)、演劇を除いて、わたしはほとんど遊んだことがないのです(※4)。過去の猛威は、わたしに遊ばせる余裕を与えてくれませんでした。

 

(※1)これはいわゆる、いじめメッセージの内在化、といえるし、わたし流にいえば、それは「彼」からの呪縛、でした。

(※2)倫理化というと少し語弊がありますが、つまりは脅迫的・強迫的なストイック主義(勤勉でなきゃいけない、真面目でなきゃいけない)みたいなものでしょうか。

(※3)いじめのあった15歳からこの文章を書いた当時23歳の間。

(※4)遊びをどう定義するかによリますが、さしあたり、当時の自分にとって進歩(根底にあるのは勤勉さ・真面目さ)につながらないようなそういう非生産的な活動、のことをさしているかと思われます。

 

こうして、クズゆえに倫理的であれ、というスローガンの元にわたしの高校生活は始まりました。そこで家族との付き合いなのですが、わたしの両親は西荻窪で飲食店を経営しており、当時母が週5日、父が週2日やっており、さらに父は週4日ガードマンのアルバイトをやっていました。それで週5日は父がほとんど家事をやっていました。高校に極端な倫理意識をもって入ったわたしは、勉強だけでなく家庭内でも、倫理的に生きねばならないと考えました。そこで考えられたのが家事手伝いでした。特にその中心は夕食でした。始めは夕食後の片づけから始まって、高2の時は週1回はわたしが夕食を受け持つことにしました。母に料理を教わったり、本を読んだりして、基本的なものは大体作れるようになりました。後は、洗濯物の取り込みなどもやったりしていたのですが、ここで1つ問題なのは、家事というものを2人の人間でやることの難しさです。かえって1人でやっている方が楽ということもあるのではないでしょうか。わたしが未熟だったことが大きな原因だったと思いますが、しばしば家事のやり方、料理の仕方などで父とぶつかりました。例えば、わたしが早く学校から帰ってきたのにご飯を炊いていなかったとか、洗濯物を取り込むのを忘れていたとか、いろいろありましたが、家事というものに目を向け始めたばかりのわたしには、なかなか気を配ることはできませんでした。すると、よく父に怒鳴られました。「バカヤロー」、これは父の口癖でした。しかも、余り良くない口癖でした。中2までは「バカヤロー」と言われてもたいして気にも留めずおれたのですが、過去のことがあって以降、自分はクズだという意識と、それゆえに倫理的であらねばという意識に支配されていたわたしには父の「バカヤロー」には耐えがたいものがありました。確かにわたしの過ちは基本的なことでありましたけれど、基本的であれば尚更それが身につくまでに時間がかかるのです。だからわたし自身としては気を付けているつもりでも、どうしても手落ちがでてしまうのです。それを「それは失敗だよ」といってくれればいいものを、持ち前の癖で「バカヤロー」と言われるとこちらはもう我慢できないくらい苦しいのです。わたしは父にバカヤローといわれる前に、既にもう死ぬほど自分に対して「バカヤロー」を言っていたのです。それに加えてさらに他人(親)からも「バカヤロー」などと言われるのは、いくら口癖でも許せませんでした。こっちも思い切り相手に向かって、「バカヤロー」と言ってやりたい気持ちにしばしばなりました。しかし、その気持ちが出てくると同時に悪魔の声が聞こえてくるのです。つまり、お前は人のことを許せないと言えるような存在かよ、手前は虫けらだろうが、クズは黙って頭を下げていればいいんだよ、バカヤロー、とわたしの頭を押さえつけるのです。わたしは親にまでも、自分がクズだから、ケンカしちゃいけない、何も言い返してはいけない、と思ってしまうのでした。よく学校でいじめられている子が、家で暴力をふるうということを聞きますが、わたしはそれさえ許されなかったのです。親に怒りの気持ちをぶつけることさえ許されなかったのです。ただ言われるままに我慢するしかなかったのです。もちろん、実際は、たくさんケンカをしたのですが、いつもそのケンカの後は自分自身に対する自嘲の念でいっぱいになるのでした。怒りの気持ちを出せないで我慢していることから涙を流してしまったこともありました。倫理的に努めようとしているのに、バカヤローとよばれ我慢しなければならないのは、当時のわたしにとってやはり非常に辛いことでした。

 

わたしは、ここで、親にさえも自分がクズだからケンカしてもいけないという卑屈な倫理意識をもっていた、ということを示したかったのです。

 

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