43. 小林先生への告白②

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

43. 小林先生への告白②

そして、その日はずっと興奮していたのですが、もともと先生に渡したノートは、先生に見せるためのものではありませんでした。断片的であって、非常にまとまりのないものでした。そこで、僕は今度は改めて小林先生に手紙を書くことにしました。そして、それと一緒にジャン・アメリ-という人の『拷問』という作品の断片をコピーしたものを付け加えて、それを小林先生のいないときにこっそりと研究室のポストに入れておいたのです。

 

こうして僕はとうとう小林先生にノートや手紙という間接的な仕方であれ、過去のことを伝えることができたのでした。

 

 

~小林先生への手紙~

 

「この文章は、ジャン・アメリー(1912~1978、自殺)という人が書いたものです。彼はユダヤ人であり、同時にレジスタンスにも参加した人なのですが、ナチスに逮捕され(1943)、アウシュビッツその他の強制収容所に送られました。そしてそのとき受けた拷問の体験をこの著作『拷問』の中で述べています。

 

~(抜粋)~

 

僕の過去に受けた体験は、必ずしもこの文章で述べられている「拷問」に匹敵するとは思いませんが、僕にとってそれは、「いじめ」などと呼ばれるべきものではなく、(内的な、ある種の)強姦であり、拷問であったと思っています。そしてある意味でそれはこの『拷問』以上のものだったとも思えます。僕はこの文章を読んでいて、非常に共感する所があります。いやむしろ自分の気持ちを(状況)を見事に言い当てていると言ってもいいくらいです。そして、残念ながら僕の体験・苦しみを伝えるには今のところこういう仕方でやるしかできないのです。

 

僕の過去を知っているのは、世界中で僕を含めて当事者二人に、精神科の医師、そして小林先生だけです。中学3年の10ヵ月を含めて、6年間、僕はだれにもそのことを言えなかったのです。そして7年目にして初めてこのことを話したのが精神科の医師なのです。しかも7年たって傷が癒えたので話したのではなく、今までの精神的な苦悩(自分がクズであるということが)が「うつ状態」という形でピークに達したことによって、やっと口を開くことができたのです。

 

そして、今二人目である小林先生に告げることも、こういう仕方でしかできないのです。8年たっても、いまだこのような状態なのです。そしてそういう自分を思うにつけ、いかに現在いじめられている人を救うのが難しいかを思います。つまり自分をクズだと思いこまされてしまった人は、助けを求めることができないし、むしろ逆にそのいじめの事実を隠そうとするのです。「いじめ」を通して自分はクズだと洗脳されてしまった人にとっていじめの事実を他人に知られることは、イコール自分がクズであるということを他人に知られることなのです。まして自分を愛してくれる人(両親)にそのことを知られることは、死ぬほど耐え難いことなのです。だからそのように洗脳されてしまった人を救うのは、非常に困難を極めると思うのです。

 

大河内君の遺書を読んでいても、その自己否定の苦悩・悲哀がひしひしと伝わって来ます。そして、自分の心境を思うにつけまさにそう思うのです。だから僕は学校の対応が悪かったとは必ずしも思いません。本人がいじめられてはいないと言っているのにいじめられていると認定するのは、残念ながら非常に困難なことだと思います。それでは一体どうしたら、このような「いじめ」という名の強姦をなくし、傷つき苦しんでいる人を救うことができるのでしょうか。僕に何かできることはないのだろうか。僕は、今そのことを考えています。恐怖と不安に駆られながら、一歩間違えば、僕が大河内君と同じ遺書を書いていたかもしれないという運命のきわどさを感じながら、内から込み上げてくる抑えようもない何かを感じながら、そのことを考えています。そして、一つのことに思い当たりました。僕ができる唯一のことに思い当たりました。しかし、それは僕にとって勇気のいることであり、非常に困難なことであると思いました。しかしそれができれば、僕が長い間苦しんで来た「いじめ」という暗い過去にやっとピリオドが打てるかもしれません。もちろんそれによって僕が過去に受けた傷・屈辱感・敗北感を解消することは不可能だと思います。それはもしかしたら一生背負って行かなければならないものなのかもしれません。しかし、それによって僕はもう一度クズではなく、一人の人間として、「希望」を持って生きて行くことができるのではないかと思うのです。

 

僕は中2の時、成績優秀、生徒会役員、卓球部部長、演劇部部長、先生の評判も良し、という中でこのまま行けば僕は偉い人になれるのではないかと思っていました。しかし、その幼い夢は中3の6月のある日によってあっと言う間に打ち砕かれてしまいました。そして、それから8年近くの間失望のなかで苦しみ生きて来ました。もちろん今の僕は中2の時のような幼い夢は持っていません。しかし、僕は小林先生がおっしゃられたように「希望」を持って生きてゆきたいと思うのです。もう一度「希望」を持って生きてみたいと思うのです。しかし、繰り返しになりますがそれは僕にとって非常に難しく、勇気のいることなのです。だから僕はやっぱり何もできずに終わってしまうのかもしれません。僕は今考えています。悩んでいます。おびえています。 今週、また是非相談に乗ってください。長々と失礼しました。 哲3 下村順一 。

 

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