38. うつの晴れ間・・・無力感を感じるとき

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

38. うつの晴れ間・・・無力感を感じるとき

大学3年生になってから、それまでは波をもってやって来た「うつ」が、ほとんど波をもたずにずっと続くようになりました。3月から落ち始め、それからその年の11月までほとんど不調続きでした。そうした中でも2ヵ月に一回くらい調子がよくなる日もありました。そして、そういうときはつくづく自分の力で人生を生きているのではないということを思い知らされました。

 

普通もしかしたら逆に思われるかも知れません。つまりずっと不調が続いていれば、そのときこそ自分の無力感を感じるのではないかと。「うつ状態」の中でほとんど何もできず、ただ横になっているだけなのです。人の力になってあげるところか、人の力になってもらってばかりいるのです。何も人のためにやってあげることができないのです。人にやってあげるなどというと少々ごう慢な感じがするかも知れませんが、僕は本当に世の中のために役立ちたいと思っているのです。しかし、実際には人に心配してもらうばかりで、ちっとも役になんか立ちません。こういうときこそ正に自分の無力感を感じてしまうのではないでしょうか。確かにそれはそうなのですが、しかしもっと無力感を感じるときがあるのです。

 

それは、ずっと不調が続いている中でふと一日くらい調子がよくなったときです。そのときこそ、自分の無力感を強く感じるのです。ああ、オレはこんなに調子がよくなる日もあるのだなあ、こんなに授業に集中することができることもあるのだなあ、こんなに勉強することができるのだなあ、と感動します。そして、周りにいる人達は、いつも今の僕のときのように調子がよいのかと思うと、なんて幸せなんだろう、なんて生きていて楽しいのだろう、と思うのです。更には本来の自分のエネルギーを知って、やっぱりオレはやれるのだと自分の力に対する自信を呼び起こすかも知れません。オレは決して無力ではないのだ、病気さえなおれば、オレだって人に負けないくらいのことはやれるのだと、希望をもつかも知れません。

 

しかし、実際にはずっと不調が続いている中で、晴れ間が来たときにつくづく思うのはそんなことではありません。そんな楽天的な事ではありません。つまり、そういうときにこそ、自分の無力感を強く感じるのです。オレだってこんなに調子がいいときがあるのか、こんなに授業に集中できることがあるのか、と感心しながらもつくづく、僕になんか何の力もないのだなと思うのです。つまり僕の中には「うつ」という悪魔が住んでいて僕はただそれにもてあそばれているだけで、その悪魔がちょっとでも気が向いて僕に働きかければ、僕は不幸のどん底におとしめられるのです。そしてその悪魔が同様に気が向けば、僕は幸福のうちにおかれるといったようなものなのです。いわば僕は操り人形なのです。「うつ」という名の悪魔のてのひらでもてあそばれているだけなのです。あんなにもさっき調子が悪かったのに、苦しかったのに、辛かったのに、悩んだのに、一瞬のうちに幸福のうちにあらしめられるのです。そして、またその悪魔の気持ち次第ですぐに再び不幸のどん底におとしめられるのでした。上がったり落ちたり、それはもうほとんど僕の力が介入する余地などありません。ただ「うつ」という悪魔にもてあそばれているだけなのです。

 

だからそうした晴れ間がやって来たときには、自信よりもかえって無力感というものを強く感じてしまうのです。喜ぶどころの話ではありません。つくづくオレってなんなんだ、と思ってしまうのです。もちろん好調になったときはうれしいのですが、あまりにも調子のよいときと悪いときとの落差が大きいので、一体さっきまで苦しんでいた自分は何だったのかと思ってしまうのです。今の自分の調子のよさ、エネルギーなんて、全然自分のうちにあるとは思えないのです。ただ風に吹かれる木の葉のように風が吹けば舞うし、風が吹かなければじっとしている、というただそれだけの存在なのです。そこに僕の力なるものは何もないのでした。

 

こんなふうにただ風に吹かれているだけの自分に気づくと、好調になったときのうれしさを通り越して、惨めにさえ思えてくるのです(やっぱり僕は虫けらなのでしょうか)。こうした無力感、惨めさを強く感じさせられるのは、「うつ状態」にあるときではなく、不調続きの中であるときふと晴れたその時なのでした。

 

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