18. 大学での居場所・・・KGK(キリスト者学生会)

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

18. 大学での居場所・・・KGK(キリスト者学生会)

KGKとはキリスト者学生会のことで、プロテスタントのサークルでした。昼にDPMと言ってお祈りをしたり、AGあるいわCGと言って聖書研究会などをやっていました。有田君も洗礼は受けてはいませんでしたが、そのときは既に、自分はクリスチャンであるといっていました。

 

有田君に誘われた翌日、二人は昼休みに図書館前に集まりました。そして、ホフマン・ホールという部室棟にはいって行きました。KGKの部室はB2でした。そしてとうとう部室の前に来たのですが、有田君が入ろうとして、ドアを開け、その部室内に10人位いるのを見て僕はまたしても怖じけづきました。高校のときと何も変わっていないのです。ほかのクラスのドアをおけるとき、みんながいっせいに僕を見る、その視線が恐ろしくて、どうしても教室に入れないというのが、いまだに直っていなかったのです。

 

そのときもそうでした。僕にとって部室にはいって、サークルの人達の視線にさらされるのは非常に恐ろしいことでした。僕はいまだに、中3のときのように裸にされて、恐怖でおびえているのです。有田君はドアの前で立ち止まる僕に入るように勧めてくれました。しかし、僕はどうしても複数の人間の視線にさらされるのは、恐ろしくて耐えられませんでした。そうこうしているうちに、部室内でお祈りが始まってしまいました。それで有田君も部室にはいってしまって、結局僕は一人でその部室の前でどうしたらいいか分からずたたずんでいました。しかし、他のサークルの人の目なども気に掛かってしまって、その場にいることもできず、僕はそのまま逃げるように帰ってしまいました。

 

僕はホフマン・ホールから出て行きながら「僕はなんてダメな奴なんだろう」と思いました。せっかく有田君と話すことができて、サークルにも誘ってもらえたのに、それをすべてダメにしてしまった。なんてダメな奴なんだろうと思いました。そして、有田君に本当に失礼なことをしたと思いました。申し訳無いと思いました。僕は自責の念に駆られながら、明日、有田君に授業であったら絶対謝ろうと思いました。

 

そうして、翌日も語学の授業で有田君と一緒だったので、授業が終わるとすぐに僕は有田君のところに行き昨日のことを謝りました(このように明らかに用事があるときは話しかけれるのです)。

「せっかく誘っていただいたのに、帰ってしまってすいまんでした。」と僕は頭を下げました。

すると意外にも有田君は、全然気にしていないような様子で「今日の昼休み、来てみない」ともう一度誘ってくれました。僕はホットとしたと同時に、再び命がつながったと思いました。

 

そうして再び昨日のように昼休みに集まって部室へと向かいました。僕は「今度こそは、今度こそは」と思いました。もう僕には後はないのだと思いました。そうして再び部室の前にきたのですが、またしても部室に入ることに躊躇してしまいました。しかし、2回も有田君に失礼なことをしてはいけないと思うと、少し勇気が沸いてきました。僕は「有田君に失礼なことをしないためにこの部屋にはいるのだ」と自分に言い聞かせました。「僕のためでない、有田君への義理のためだ」と言い聞かせました。そうして有田君のほうも今度は昨日よりも強引に僕を部室に入れようとしました。僕は有田君に逆らってはいけないと思い、それでやっとその部室にはいることができたのでした。

 

部室にはいってみると、そこにいたすべての人が僕を歓迎してくれました。僕はカチンコチンに緊張しながらも、心の中ではホッとしました。お祈りのほうはみんながやるようにただまねしているだけでしたが、それでも受け入れてくれました。こうして僕は、それから毎日昼休みに有田君と図書館で待ち合わせて部室に通うようになりました。しかし、初めのころはまだ恐ろしくて一人で行くことはできず、有田君と一緒でなければ行けませんでした。

 

有田君なしで部室に行けるようになるには、それから一年もの時間が必要でした。有田君とはこのことをきっかけに、やっと友達になることができました。授業が始まる前や、終わった後で、自然と二人で行動するようになりました。僕はやっと大学内で自分と空間を共有してくれる友達を得たのでした。あるいは彼と一緒にいることによって「居場所」を獲得していったのです。有田君と僕との仲は急速に良くなってゆきました。そして、大学2年が終わるころには親友と呼べるまでの仲になったのでした。

 

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