17. 大学ではじめての友達・・・有田くん

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

17. 大学ではじめての友達・・・有田くん

5月の終わりから6月の初めにかけて、切羽詰まった状況の中で僕はやっと友達を一人作ることができました。それが有田君です。

 

有田君とは一年生のときから語学の授業が同じで、又、人間学の授業でグループが同じだったこともあって哲学科の同じ代の人達の中では、一番仲はよかったのです。たまに授業以外でも偶然あったりしたとき、ラウンジなどで話をしたこともありました。しかしまだ友達というところまでは行きませんでした。語学の授業などでしょっちゅう会う機会はあったのですが、どうしても自分の方から近づいて行くことはできませんでした。有田君のほうもそんなに友達とむれて行動するほうではなかったので、たまに話すことがあってもなかなか僕のほうに来てくれませんでした。

 

僕はいつかだれかが僕のことを認めてくれて、むこうの方からやって来てくれるのではないかと、甘い考えをもっていたのです。しかし、だれも僕のところに来てはくれませんでした。もちろん友達がほしければ自分からどんどんアプローチして行けばよいのてすが、僕にはそれができなかったのです。下手に少しでも話をしてしまえばかえって、その人のことを意識し過ぎてしまい、近づけなくなるのです。高校時代、吉本さんと松木さんを得たのも、そして予備校時代斎藤さんと巡り会えたのも、ラッキーだったのです。別に僕の力で作ったのではないのです。そのことが、この時はっきりと分かりました。実際のところは、大学生になっても友達すら作れない情けない男だったのです。

 

しかし有田君と友達になれなかったのには、もうひとつ理由がありました。それは初めて有田君とはなしたとき、あるいはグルーブ発表などで一緒になったときなどで、彼があまり魅力的だと思えなかったからです。彼は大変人は善さそうでしたけれど、彼と話していても、何か物足りなさが残るのでした。学問的にも頭のよさもたいしたことないと僕は思いました。僕よりも下であると見ていたのかも知れません。何か自分の友達としてはふさはしくない感じがしたのでした。それが今一彼のところへ行く気になれなかった理由でした。

 

僕は有田君に対して始めこのような失礼なことを考えていたのですが、それらが誤解であることはすぐに分かりました。彼は上智にくるだけあって、僕なんかよりずっと頭がよかったのです。特に語学には強く、ドイツ語クラスでは一年の終わりにはトップに立っていました。あるいは演習の授業でも、僕は同じクラスではありませんでしたが、成果を上げているということも聞きました。彼は優秀な生徒だったのです。僕がどんなに勉強したって彼にはかなわないということが分かりました。

 

しかし、こうした僕の彼に対する評価の変化はさておいても、もう僕はとにかく友達を作らなければやっていけないと思いました。有田君に何か頼りなさを感じてはいても、とにかく友達を作らなければもう生きて行けないと思いました。それで哲学科の中で一番距離が近いと思われた有田君に何とかアプローチしようと試みたのです。毎日授業のたびに、今日こそは授業が終わったら有田君に話しかけようと思いました。しかし、なかなかそれは僕にとって難しいことでした。授業中は、今日こそはと思っているのですが、授業が終わり、いざ有田君のところへ行こうとすると、すぐおじけずいてしまうのです。「ああ、やっぱりダメだ-」となってしまうのです。毎回失敗するごとに僕は落ち込みました。

 

しかし五月の終わりごろにかけて、本当に苦しくて自分の身に危険を感じたときに、やっと有田君に話しかけることができました。そのときどんな会話をしたか覚えていませんが、そのとき有田君はKGKというサークルに入っていて僕に部室にこないかと、誘ってくれました。僕はこれこそチャンスだと思い、すぐにOKといいました。そのサークルがどんなものであるか分からなくても、そんなことはどうでもよかったのです。とにかく何とか、それを通して、有田君とつながって行きたいと思ったのです。そして、このKGKに行くようになってやっと僕は大学内において、本当に生きて行く道が聞かれたのでした。

 

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