12. 友達が作れない・・・3層の心理的要因

いじめトラウマを生き抜く方法

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12. 友達が作れない・・・3層の心理的要因

伊藤先生の話し合いでも、小林先生の話し合いでも一番初めにテーマになったのは友達が作れないということでした。大学2年の4月から6月にかけて僕を最も苦しめたのは友達ができないということでした。自分と一緒に空間を共有してくれる人がいないということは、僕の大学における居場所のなさを意味しました。キャンパスを歩いていても、教室に入っても話す相手がいないということの重圧に窒息しそうになるのです。それが僕を苦痛のピークに追いやった一番の原因でした。

 

だからまず小林先生と話し合うに当たって友達ということがテーマとなったのです。

 

僕は小林先生に言いました、

「僕は友達が作れないのです。どうしてもクラスメイトのいるところへ入って行くことができないのです。クラスメイトを見るとかえってそれから避けようとしてしまうのです。しかし、僕は大学に来て話ができる人がほしいのです」

 

僕はクラスメイトを見ても、どうしても近寄ることができない、声をかけることができない、ということを強調しました。すると先生は次のように反応しました、

「なぜ近寄らなくてはいけないのです、別にわざわざそこへ行かなくてもいいじゃありませんか、なぜ友達を作らなければならないのです。どうして『そうしなくちゃいけないのか』が出てくるのか、それがわたしにはよく分かりません」

 

こう言われてしまうと僕もよく分かりませんでした。クラスメイトを見ていると結構一人でいる人もいるのです。でも彼らは一人でいることになんともないようなのです。必要なときだけ人に話しかけると言った感じでとても自然でした。

ではなぜ僕は自然ではいられないのだろうと考えてみました。確かに小林先生の言うように無理に友達を作る必要などないのです。自然に振る舞っていればいいことなのです。そこで今度は、なぜ僕は、クラスメイトのところへ行かなければいけない、と考えてしまうのか考えてみました。

 

そうして考え続けて行くうちにある構造が浮かび上がって来たのです。それは3つの層からなっていました。

まず始めに、僕は極度の自意識過剰だったということです。しかも悪い意昧での自意識過剰だったのです。これは過去において、人間不信や劣等感を克服してもなお残る自意識でした。それは外界に対する疎外感あるいは違和感となって現れました。常に周りの人に自分は疎外されていると感じてしまうのです。これはほとんどどうしようもないことでした。過去の体験によって植え付けられたことでした。

 

そして、その疎外感が僕に、周りの人に対し「壁」を作ってしまうのです。この「壁」も疎外感によって避けがたく作られてしまうのです。そしてこの「壁」ができると、これもまた必然的にこの「壁」を乗り越えようとする「意識」が出てくるのです。それが僕にクラスメイトに近寄らなければならないという気持ちを起こさせていたのでした。 一人でいても平気な人と違うのはこの「壁」という一点なのです。

 

一人、でいられる人は、この「壁」がないのです。別に話をしていなくても、他の人達と同じ空間にいるのです。だから一人でも安心なのです。何か用事があればそのときだけ、近くにいる人に気軽に話しかけることができるのです。もともと「壁」のない人は一人でいてもいなくても、既に周りにいる人と空間を共有しているのです。

しかし、僕のように「壁」を作ってしまう人間は、その「壁」ゆえにそれを乗り越えようという意志のはたらきがでてしまうのです。しかし、どんなに乗り越えようとしても、疎外感と同時に恐怖心が僕を捕えて、クラスメイトのほうに行かせないのです。この疎外感-「壁」-恐怖心という3層構造が、僕に友達を作らなければならないと命令し、そして、そのつどそれを挫折させるものだったのでした。こうもいえます。つまり、友達を作れるのに友達を作らず、それで友達がいないというのと、友達が作れないから友達がいないというのは全く違うということです。

 

こうして、友達に関する僕の苦しくなってしまった原因が僕の内面において明確になりました。しかし、友達ができないという問題は大学2年の7月以降から現実的には解決されました。後で述べるように、やっとのことで僕は有田君という友達を作ることができたのです。そして、有田君をとおして、KGK(キリスト者学生会)というサークルとも接することができるようになれたからです。KGKの人達と仲よくなるには、それからまだ時間が必要でしたが、有田君とはかなり急速に友達として親しくなって行けたと思います。このことが当時窒息しそうになっていた僕に、酸素というべきものを送り込んでくれたのです。生き返ったようでした。大学においてやっと居場所を見つけられたのでした。

 

しかし、友達ができず苦しくなる原因が分かっても、有田君という友達を得ても、疎外感-「壁」-恐怖心という構造そのものはなんら変わりありませんでした。もちろんその構造が見えて来ただけでも、それだけでかなりの進歩だったと思います。が、その構造が過去の体験によって植え付けられたどうしようもないものである以上、それを克服するにはまだまだ時間をかけなければならないのでした。
否、もしかしたら僕はそれを一生かけて背負って行かなければならないのかも知れません。

 

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