10. うつ状態

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

10. うつ状態

わたしはこのとき、中3以降、7年たって初めて、過去のことを人に話しました。

 

一つにはもうこれ以上話さなければ、死ぬのではないかという危機感があったからです。そしてもう一つは、人に話したといっても、これは医者と患者という特殊な関係であったからです。わたしは患者であり、相手は医者なのです。医者は患者を救うのが仕事なのです。患者の過去を聞き、苦しみを取り除いてやるのが、医師の仕事なのです。そう思ったらわたしは今までとは信じられないくらい、自分のことについて洗いざらい話しました。過去の「いじめ」のこと、そして、現在いかに苦しいのか、ということについて思いつくかぎりしゃべりました。そうして、今のわたしの状態を聞いて、伊藤先生はわたしのことを「うつ状態」だと診断してくれました。このことはわたしにとって決して嫌なことではありませんでした。これでやっと、この数年来の精神的な苦痛と肉体的不調の原因が分かったのです。風邪が治らないとか、体がひ弱になっているとか、胃がおかしいとか、そんなことではなかったのです。わたしは「うつ状態」という病気にかかっていたのです。それが当時の苦しみの一番の原因だったのです。

 

わたしは伊藤先生に「うつ状態」と診断されて、本当に救われました。やっと今まで自分の精神的苦痛を人に認めてもらえたのです、正当化されたのです。夜眠れないのも、朝起きれないのも、すべて「うつ状態」という病気のせいだったのです。そしてさらに伊藤先生は、「下村君は、中3の時からうつ状態だったんじゃないかとわたしは診断します。」と言ってくれました。これによって、そのときだけでなく、わたしは7年もの間「うつ状態」であったことが分かったのです。それまでの、自分でも信じられないくらい苦しかった日々が、青春のセンチメンタリズムでもなく、あるいは自己の怠惰さゆえのものではなく、病的状態による本当の苦痛であったことが、はっきりしたのでした。

 

今までの苦しみを初めて認めてもらえたのです。わたしは中3以降現在(当時23歳)に至るまで重い荷を背負って生きてきたのです。わたしにとって、長い間苦しみ抜いたわたしにとって、「うつ状態」と診断されることは決して嫌なことではなく、むしろ福音とも言うべきことだったのです。そうしてさらに伊藤先生は「うつ状態」の治療方法として、「休養」と「薬の服用」をあげました。「うつ状態」を直すには、これしかないのです(※1)。

 

(※1)うつ病治療の王道は、これですが、いじめトラウマを根っこに持つトラウマ性のうつ状態(PTSD)の場合はそうそう一筋縄ではゆかないのです。またうつ病者の7~8割の方は、この治療法で、半年~長くても3年くらいでよくなりますが、それ以外、つまり2~3割の患者は、症状が慢性化してしまっていて、治るのに3年以上かかる難治性のうつ病なのです。

 

こうして、わたしは初めて休むことがゆるされたのです。思えばそれまでのわたしは走りっぱなしだったと思います。中3以降、常に恐怖心と自分はクズだという意識に強迫されて生きてきたのです。それから逃れるために勉強したり芝居をやったりしていたのです。ずっと走りっぱなしでした。「休む」ことはわたしにはゆるされなかったのです(自分に対してゆるさなかったのです)。しかし、わたしは伊藤先生と出会って初めて「休む」ことがゆるされたのです。「休む」ことが正当化されたのでした。しかしその「休養」は思いもよらず長いものとなりました(※2)。

 

(※2)わたしは結局症状が落ち着くのに七年かかったのでした。

 

最後に次のことを言っておきたいと思います。それは、確かにわたしは中3以降7年たってやっとそのことを人に話すことができましたが、それは決して自分の傷が癒えて、強くなってしゃべったのではない、ということです。全く逆なのです。中3以降苦しみは軽くなるどころか日に日に重くなっていったのです。そして7年たってその苦悩が「うつ状態」という形でピークに達したことによって、それでしゃべったのです。それでどうしようもなくなってしゃべったのです。決して傷が癒えたわけでも、強くなったわけでもないのでした。

 

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