35. 大学進学にあたって・・・誓いと自戒

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

35. 大学進学にあたって・・・誓いと自戒

わたしが大学に入るに当たって考えたことを書いておきたいと思います。

 

まず何よりも勉強をちゃんとやろうと思いました。わたしの発想の裏には常に自分はクズだという意識がありました。それは「彼」によって植えつけられたもので、どうしようもなくわたしの中にありました。その発想からゆくと次のような論理になります。つまり、

 

「自分はクズだ、だから大学に入ったのだって奇跡的だ、学問やるなんて言うのは、なおさら自分には無理なことだ、わたしは頭が悪いので学問する能力などないのだ、だからもし学問やれるとしたら、この大学4年間しかないのだ、大学院になど絶対に行けるわけないのだ、否、わたしは「大学院」のことを考えることも許されないくらい卑しい存在なのだ、それは身の程知らずもはなはだしいことなのだ、だからわたしが勉強できるのはこの4年間しかないのだ、だとしたら唯一わたしに与えられたこの4年間を勉強のために最大限に使おう」

 

およそこのような過程を経て考えたと思います。つまり、これをせんじ詰めると、オレはダメだから勉強するのだ、ということになると思います。普通は可能性があるからそれに向かって努力するのではないでしょうか。しかしわたしは全くの逆の論理なのです。可能性がないからこそやるのです。不可能なことだから余計に今許された時間を、そのことに最大限使おうという考え方なのです。これは論理でもなんでもないと思われるかもしれませんが、少なくても当時のわたしはそう考えていたし、そう考えざるえなかったのです。

 

そしてもうひとつありました。それは一つの自戒のようなものだったのですけれど、演劇は大学初めの2年間はやらないということでした。どういう形でやるかは別として、とにかく、初めの2年間はやらないと決めました。その理由は一つは、やはり先に挙げたように勉強をちゃんとやりたかったからです。少なくとも初めの2年間は勉強だけにすべてを投入しようと思っていたのです。当時のわたしの勉強(哲学)に対する卑屈なまでの情熱は、誰にも何にも、止めることは出来なかったのです。

 

そして、もう一つ大きな理由がありました。わたしは高校に入る前、高校に入ったら演劇部に入って、そこでの活動を通して人間に対する信用を取り戻したいと思いました。そして、実際人間に対する信頼はかなり回復できたと思います。しかし、非常に残念なことにそれは演劇部内だけのことだったのです。高3になっても結局クラスで友達だったのは、佐々木さんと田辺さんだけだったのです。依然として多くのクラスメイトとは友達になることはできませんでした。それは浪人してからも同じでした。予備校前期は友達が一人もできなかったし、後期に入ってからも斎藤君以外は結局だれ一人として友達を作れなかったのです。わたしは、演劇を通してしか友達を作ることができないということに気づきました。わたしはそれを何とかしたいと思いました。演劇に頼らずに何とか友達ができるようにならないだろうかと考えたのです。それで少なくとも、初めの2年間は演劇に頼らずにに哲学科の人たちと友達になるように努力しようと思ったのです。

 

こうしてわたしは、演劇をやることを自分自身に対して禁じたのでした。

 

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